「オーケストラのクラシック音楽のススメ〜第一回 『クラシック』とは?〜」
管弦楽
しばらくの間、『オーケストラのクラシック音楽のススメ』と称し、自分の敬愛する、管弦楽に寄るクラシック音楽の普及を促せる文書を書き連ねようと試みることにした。
自分の好きなものを人にも好いてもらえる喜びというものは、数ある人間の正の感情に於いて、かなりの度合いを占めることの出来るものだと自分は考え、実際に感じている。
そのような愚かとも取れる自己の欲求から来る行動ではあるが、どうか温かい目で見てやっていただきたい。
そして、この拙い文で納得せずとも、共感や意見を自身の想いに浮かべ、時には『何を言っているんだ』と微笑みを浮かべ、それでいて自分の思惑通り、音楽に対する愛情が芽生えたら、自分としてはまたこの上ない喜びであろう。
クラシックの何がいいか、という点を説明するには自分には知識と経験、また、文才が無さ過ぎる。
それは自分もこれから考えるべき点である…が、それは置いておいて、そもそも『クラシック』とは何であろうか。
クラシック、という言葉には『古風な、伝統を持った』という意味が含まれている。
これではあまりにもその意味の範囲が広すぎる。また、『古い』という形容の定義は曖昧な意味も含んでいるので、その定めるところは確かではないだろう。
また、現代の世論は『クラシック音楽』というものは『オーケストラがする音楽』という意味で取っているように感ぜられてならない。
…話がズレた。本題に入ろう。
自分が考えるクラシック音楽とは、『音楽の基礎を見事に構築し得た先人らの意図をくんだ音楽』、つまり、『伝統という名の歴史を重要視した音楽』というものである。
本来の『クラシック』の意味も含んだ、言い得た説ではないだろうか。
これによると、演奏形態は関係がない。
オーケストラが最近の流行歌を演奏すればそれはクラシック音楽ではないし、ジャズバンドがあるシンフォニーのフレーズをもじってアレンジを加えれば、それはクラシック音楽と呼ぶことの出来る可能性を帯びる事であろう。
そんな、『分化と伝統を重んじるクラシック音楽』。
堅苦しくつまらないと考える人が多いことも頷ける。
しかし、その中には、『これでもか!』というほどの楽しさと感動、興奮が満ち溢れている事を自分は大いに提唱したい。
次回からそんな曲の紹介と楽しみ方を伝えていきたいと思う。

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