「オーケストラのクラシック音楽の進め〜第二回 バロック時代のとある日常〜」
管弦楽
クラシックに限らず、様々な時代、場所等で、音楽は表現をするための方法の一つとして存在している面が大きい。
しかし、バロックとよばれる、千年ほど昔の古い、実際の意味でのクラシックな曲は、音楽表現にその本意を認めたのではなく、音と音との関わり合いにより生まれる調和を芸術とし、単なる嗜好としてそれは存在していた(今現在その考えが無くなったわけでは無く、それに付け加えられた、表現の分野での能力が特化しているに過ぎない)。
実に、昔の音楽会というものは、今と比べて格段に(当時はそれが普通だとはいえ)マナーが悪かった。
当時の、今でも名前が残っているような(ベートーベンとかモーツァルトだとかいう)音楽家は、今の一般的なイメージのような立場では無く、もっと、今でいうアーティストに近いような立場であったといわれている。
道を歩いていれば人だかりが出来、貴婦人らは卒倒し、路地の出店はこぞって自分の商品を土産に、と手渡す(もっとも、それらは音楽が割と庶民に受け入れられるようになったベートーベン以降であるが)。
だものだから、演奏会は、『有名人の出演する舞台』を見に行くような感覚であったらしい。
ショパンのように、楽器(彼はピアノ)が上手く、顔立ちが綺麗な奏者の演奏会は、もう婦女子からの黄色い声援とアンコールが鳴り止まず、狂乱状態の演奏会だったらしい(今も変わらないか)。
そんな面持ちで行く演奏会。そんなもので濃い曲を長々と聴されてはまいった、と、お喋りはするわ、途中入退室はあるわ、落ち着かないわ、寝ていびきはかくは…と、散々なものが多かった。
それに困ったハイドンさん(交響曲を生涯百曲以上作った強者。その他のジャンルもかなりの数名曲を残しているが、その功績から『交響曲』の父と呼ばれている。ベートーベンなど沢山の優秀な弟子にも恵まれ、かなりの大御所として君臨していた。今で言う、北島のサブちゃんのような存在)。
マナー知らずだけれど、良いとこの婦人さんだから何も言えない立場なので、『何とか分かってくんねぇかなぁ…』と頭を悩ませていた。
そこで作った曲。交響曲『驚愕』。
通称『びっくり交響曲』。
四楽章から出来ているのだが、無難な一楽章の後、p(ピアノ、ごく小さく)の弱奏で二楽章は始まる。
何とも親しみやすい、一度聴いただけで覚えられそうなメロディーが一回繰り返された後、何の前触れも無く一斉に奏されるff(フォルティッシモ、馬鹿強く)。
ペチャクチャお喋りにうつつをぬかしているオバサンたちに一喝をするベくして作られたという。
しかし今聴くと迫力はそうでもないという、悲しい名前負けの曲。
ハイドンは沢山の交響曲を作っており、そんな逸話のある曲も多い。
天上飾りのシャンデリアが落下する事故が起こるも、奇跡的に怪我一つ誰にも起こらなかった(単に客の入りが悪かった)時に演奏されていた曲、交響曲『奇跡』もその代表。
次回はもう少しその逸話について話をしてみよう。

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