「交響曲のススメ〜第二回 不遇の作曲家カリンニコフ〜」
管弦楽
前回の内容を踏まえ、自分の交響曲の聴き方を少し細かく説明させていただく。
前回も述べたように、自分は交響曲を娯楽鑑賞作品としてみる場合、その作曲者の事を調べてから曲を聴くことにしている。
(勿論調べる事と曲を聴くことの順番は前後することがある)
『聴くことにしている』というよりは、『その方が曲に没頭しやすい』と言った方が適当であるだろうか。
なんにせよ、その作曲家の素行性格素性云々が大きく変わることは変わりない。
自分の好みの話であるが、真面目一辺倒、単純な人間で、かなり涙脆い人間であることが関係してか、不遇の人生を歩んだ人物と、その辛さが強い時期に作られた曲に対し、かなりの興味が沸く(先人の辛さを知っておきながら、その辛さの積もり積もった交響曲を好むとは、裕福な現代社会の生み出した弊害、ある種、サディスティックな面が感ぜられるかもしれない。しかし、自分はそのような気持ちはなく、単純にその人間ドラマに心を動かされているだけである、と断言したい。)。
例として、自分が最近そうやって(新たにその人物の人となりを知って)共感を覚えた人物を以下にあげよう。
大国ロシアの生み出した不遇の作曲家。大家チャイコフスキー、ラフマニノフにその才を絶賛られ、有望なはずの未来が悲しく閉じられた人物…彼の名はカリンニコフ。
音楽家でない家庭に生まれるも、両親の寵愛をその少し弱い体いっぱいにうけとめ、大国ロシアの大いなる自然の伊吹きを感じ学び取り、絶大な情緒と感動を事故に取り組んだ幼少時代。
やや引込思案な性格で、社交性があるとは言えないが、その優しさはだれこれと区分されるのではなく、まさに誰にでも向けられるほど深いものであった。
想像力が豊かであり、その頭の中の物語は、終わることがなく、いつまでもつづいたという。
彼が自分を表現するために音楽を選ぶことに時間はかからなかった。
苦学して音楽校に進み、一心不乱に学ぶ。人付合いをなんとかすることを覚えたが、まだ人に心を開けずにいた。
自己の表現を高める為…というよりは、日銭を稼ぐためにバイオリン、ファゴット、ピアノなどを奏し、指揮者としても働いたが、彼は本来作曲家になりたかった。
自己の終わりの内音楽を自分だけの音楽で、その器がどれだけ大きい物か計り知れない交響曲で表現したかった。
二十代半ば、三十を通り越した頃、彼の一つの交響曲が完成していた。
この作品こそ、少数精鋭派の彼の作品の中でも一際際立つ『交響曲第一番』である。
曲の内容と彼の生い立ちの続きはまた明日…。

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