指揮者としての自分について公表していなかったのでいつか書こう、と思っていたが忘れてしまっていた。
思い出したついでだ、今から書こう。
幼い頃、自分は指揮者になりたかった。そのころ修行していた歌、その研究の際に、歌い手の後ろで小規模の楽団を指揮している名も知らぬ指揮者の背中に惚れたからだ。
さいばしを手に、幼稚ながらも懸命に腕を振り回していた覚えがある。
高校に行き、楽器を吹くようになった。
指揮者と向かって音楽を作る。感無量だ(だが悲しい事に当時の自分は技量も経験も大いに不足しており、本当の指揮の意味は読み取れ無かったように感じる)。
指揮の教程、指揮法を学び始めたのはその頃。
スコアを読むことが好きで、CDの音楽に拍を合わせながら適当に棒を振るだけで満足をしていた。
平行して恩師から楽器法や合奏指揮法を学び、イメージトレーニングを重ねる。この頃からやっと、同じ曲を違う音源とで違いがわかるようになる。
高校在学中、卒業間近の頃に恩師から一曲、恩師が顧問を勤める吹奏楽団の指揮の機会を与えられる。
巨大な驚きと戸惑いを感じつつも、実際に指揮をすることが出来る喜びに感動を隠せない。
死に物狂いの指揮と合奏指揮。緊張のあまり混乱もあったが、次第に慣れ、思い通りに近い音楽を奏でられる。
恩師にはありがたい指摘を賜り、非常に素晴らしい指導も受けさせていただいた。
高校卒業後は、指揮者としては長い長い低迷期になる。その間にも勉学とトレーニングは欠かさなかった。
ホルン奏者として何とかほんの少しはやっていけるようになったころ、ホルン講師として招かれた某高校吹奏楽団にて、合奏指導も要求される。
恐る恐るやってみたが、そこで音楽の創造の味をしめる。
勉学の量も増え、実践も重ね、そこそこ上達の度合いが軌道に乗る。
後は二次関数的に指揮の機会と時間が増え、それなりの経験を積む。
少人数器楽合奏から管弦楽、吹奏楽等に幅広いジャンルに何とか繋がる。
編曲に限り、自作曲自演奏の機会も多い。
代表作は『「旅路」の主題による試験的器楽合奏曲』、『弦楽六重奏とフルート、ホルンのための「川の流れのように」』(共に著作権取得未申請)
こんなところか。何やらよく分からないが…個人名や団体名を避け続けたらどうもくしゃくしゃだ。まぁ良い。
指揮をしてて一番喜びを感じるのは、奏者と意思の疎通が容易に為された時だ。もちろん、滅多に無い。
指揮者は辛い。あたかも一見優雅だが水面下では必死に足をばたつかせている白鳥のように。
でも止められない。

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