ホルンを奏する事は、非常に繊細でヒステリック、しかして他に類を見ないほど魅力的な女性を相手にする事に等しい
−クーシンズ−
ホルンの演奏は、喜びと感動に満ちている。
しかしながら、その真の感動に出会える奏者は、実のところ思いの外少ない。
自分なんぞは、その巨大な感動の片鱗の、そのまたおこぼれに預かっているだけかのようなものだ。
その喜びを知る為には、それこそ辛酸を味わい尽くすかのような努力忍耐と、膨大な時間と金の浪費を必要とする。
何故そのような大きい代償をとしてまで、ホルンの、音楽の喜びにあやかろうというのか。
明確な答えを述べることは出来ないが、唯一つ、これだけは述べることが出来る。
『音楽の喜びを得ようとするものは、平和な土地、安定した収入に恵まれた者である』
戦乱と貧困、その他の重く苦しい事柄に際悩まされる人には、そのような事に構うべき心なぞは持ち合わせていない。
真理である。
当たり前の事だ。
なら何故自分がこのような事を述べたか。
当たり前ではあるが、実のところ我々には実感は薄い。
その薄い実感を確かなものに。今現実に起こっている惨劇を忘れない為に。だ。
芸術が出来る環境というのは、平和であるということ。
−北野武−
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