音楽家というものは、とかく効率主義である事が多い。
日常に於いて、と考えることが出来るが、寧ろそれよりも「練習やリハーサル等に於ける言動は一般世論が考えるそれと比べて」の場合の方がその色は顕著である。
何だか変なマスコミ(?)の情報に踊らされているのかどうかは知らないが、今日び音楽家は(特に指揮者にそのイメージが強いようだが)人の前で
『ここはもっと感傷的に…愛する人に語りかけるように…』だとか
『そこはもっと感情的に…親を殺した敵を目の前にしての怨みのように!』などとは言ったりしない。
万が一、ゲネプロ(最終リハーサル)で自分の目の前にそんな事をいう指揮者がいたら、自分は間違いなく
『指揮者先生!どうも我々は日本語が下手なようです、明瞭簡潔に指示を出してくださいませんか!?』と声を出そうとするだろう。
大体全体練習だなんていう80人が一堂に会する貴重な時間にそのような不明瞭な発言を何度も何度も繰り返すような行いは、はっきりいって時間が勿体ない。はっきりと
『そこはどの音譜にレガートをたっぷりきかせて』
『もっとアクセント!スタッカートもきつめに!』
と、はっきり言を表わにしてほしいものだ。
もちろん、そのような言動は全くすべきでは無い、というものでは無い。確かに必要なのだ。
しかし、効率の良さ、というものが団体活動、運営には必要なのだ。
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