ネガティブな内容になる、申し訳ない。
どうにも運が無い。
体調が悪く、満員電車の中で昏倒した。
人にもたれ掛かれたりできれば良かったものの、下手に開いた隙間にいやに上手くはまり、床に倒れた。
これまた、俯せになったり暫く目を覚まさずに、だったりしたらよかったものの、生憎斜め後ろに転げ、倒れた衝撃と事態の非日常を驚く周囲の人物の視線に反応し、直ぐに立ち上がった。
本当は意識も朦朧としているのに、周りの視線の痛さだけはよく分かる。穴があったら入りたい。
マウスピースの加工を頼んでいた職人に、こちらに不備があったのだろうが、どういうわけか物品が届かない。
それ自体も返ってこず、先方は不機嫌になった。
不幸中の幸は、それが試作品だったことか。
電車に乗ろうとしたら財布を忘れた。
電車を降りて車に乗り換えようとしたら鍵を忘れていた。
もう電車は嫌だ。
ポール・モーリスの悲報を知ったのはこの時。
空元気を出して逢いに行った知人には覚えの無い悪態をつかれる。
こういうときに、割合短絡的な思考の人は対応に困る。弁論の予知は無く、下手なことを言えば余計火も煙も無い所に被害者を出現させられる。
ことに女性なら尚更。
昔恋仲だった人だったが、関係解消どころか、縁を切りたい、とまで言われてしまっている。であるのに度々『あの頃の貴方は…』、『だとかあの頃の私達は…』と口にされる度、「縁を切りたい」と言われた時の録音があったらどう聞かせてみようか、と思い、止める。
この時のヒステリー、というか、実に理性から遠く離れた言動は女性特有であるかもしれず、しばしばフェミニストである自分をも閉口させる。
男女である前に、我々は人間だ。
思いあまって彼女は店を出た。
ビンタの一発でもあったらドラマチックだが、そんな事は無い。
手洗いに行っている間にいなくなっていた。
彼女が残した支払いの金が余分にあったので差額は近所のコンビニの募金箱に入れてきた。
煙草を買おうと思ったら小銭が足りず、募金箱に目が行った自分は何を考えていたのだろう。
左耳がとうとう聞こえなくなった。
医者が言うには初期段階(四月頃だったか)の対応が遅すぎたのだそうだ。
片耳が聞こえないと、まず失われるのは立体感や臨場感ではなく、色彩感である。
この世の全てがモノクロチックになる。
とてつもない虚脱感と絶望が襲い来るが、人と自分の時計の針が不一致することは世の摂理に反する。どんなに疲れていようが、落ち込んでいようが、次の予定は来る。時間社会とはそういうものだ。
自分はさっき聞こえなくなった、としたが、実際は耳鳴りがしているのであり、治る。
だからまだ音を続けられる。
それなのに夜のそろそろ季節はずれの蚊の羽音はよく聞こえる。聞こえ過ぎなくらいだ。
うるさいと思えばいなくなる。うとうとしかければまた羽音を鳴らす。
一定のリズムを保つかのように、安定して、それでいて私が短気を起こさないように尺度も弁えている。
リズムをとり、抑揚をつける彼に私は毎晩文字通り躍らされる。
夢と現実の境目で、幾度とも知れず繰り返されるアンコール。さながら人気指揮者のそれである。
私は今夜も聞こえなくなった耳をもって、マエストロと二人、たった二人だけのアンコールを披露するだろう。
ゆったりと、唯唯ゆったりと。
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