専門に指揮をしない、本番の舞台に立つことは殆ど無い、奏者の練習の際に役立つ簡易式発展的メトロノームとも言える指揮者、それはコンダクターとは言えず、性質役割その他で明らかな差異を持つ。一般にアシスタントコンダクターと言う。
これに必要なのは楽団の奏でる音楽の音楽的向上ではなく、単なる所謂、噛み合わずまとまりが見られぬ音楽の交通状況の整理能力である。
音楽性の統一、向上は本番に参加する人間、つまりコンダクターと奏者に任せるべきであるし、その方が良い。
これから考えれば秀でた団体にアシスタントコンダクターの必要は無いように思われる。
だがしかし、一般にアマチュア団体に見られる状況事態であるが、楽曲演奏に於いてコンダクターとの練習時間が多く取られぬ場合がある。
この場合、交通整理だけでは時間を持て余す事態となり、結果として、音楽的向上に時間を使う必要が起こる。逆に言えばそのような事態に陥らない限り、音楽性に口を出すべきでは無いと自分は明言する。
その場合、アシスタントはコンダクターの意を酌み、コンダクターの望む方向へと楽団を導かねばならぬ。一度進んだ方向を変えるのは困難であり、音楽性の軋轢にも似たその状況は音楽に於いて恐ろしい事柄の一つである。
音楽性の判断が付かぬ場合は、まずは口を出さぬ事。しかし時間の持て余し等の理由により口を出さねばならぬ時は、非常に難しい話であるが、一般的な解釈を述べるべきである。
音楽団体に於ける社会性とはそういうものであり、この場合一個人の意見は尊重されるべきではない。適当な権力、立場を持たねば意見は意見にならない。経理担当の会社員が営業課に自己の意見をごり押しするかのようなものである。尊重されるものではありこそすれ、それがそのまままかり通ることは難しい。
一般的な解釈というのもあやふやなものである。
『この曲のこのテンポの緩め具合はこのようにするのが一般的である』とする解説書や虎の巻があるわけでもない。
よって個人の主観が多分に加算される。一般的である、という定義に矛盾するので望ましくない。
続きは後日。
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