ミラクルバット火を噴け ミラクル男でゆけ 呂 ・ 呂 ・ 呂
虹のアーチたたきこめよ どでかい一発
呂明賜 (ルー・ミンスー ろめいし Ro Ming Soo ) は台湾出身の野球選手。
前傾姿勢の打撃フォームから繰り出される豪快な一打は『
アジアの大砲 』
と評された。台湾のアマチュア球界を経て1988年、ドラフト外で巨人軍に入団。
当時、
クロマティ&ガリクソンという2人の元メジャーリーガーが在籍しており、
出場選手登録できる外国人は1球団につき2人までとのルールから、呂明賜は
「
第3の外国人選手 」 の扱いだったが、骨折によるクロマティの登録抹消で
初めて一軍に昇格し、対ヤクルト戦では “
初打席で本塁打!” という衝撃的
デビューを飾る。以降もホームランを量産、
10試合で本塁打7本の大暴れ!
前年の 「
ホーナー効果 」 上回り、まさに
ミラクルバットが火を噴いた!?
急遽、オールスターに監督推薦で選ばれる。外国人出場枠が3人に広げられた
特例によるものだが、呂はこの年のJr.オールスターにも出場を果たしている。
藤田巨人となった翌1989年からは一軍登録されるものの出場機会に恵まれず、
1991年終了後に退団し、台湾プロ野球に加入。主力打者として活躍したそうな。
2005年にはWBC台湾代表チームの打撃コーチに就任し、2007年の今年は
北京オリンピック ・ 台湾野球代表打撃コーチに就任、現在に至っている。
そんな昔話を語った裏には、もう一人の 『
アジアの大砲 』 の存在があった。
来季のJ1復帰が決まっている
東京ヴェルディのコーチに元日本代表FWで、
前横浜FC監督の
高木琢也が就任することになった。大学卒業後、フジタを経て
1991年にマツダ入り。チームがサンフレッチェ広島として発足するとプロ契約、
1992年にはJSLの新人王に輝いた。1998年、経営悪化にともなって移籍金を
得るため放出を余儀なくされ、ヴェルディへ移籍。2000年に現役を引退した。
また日本代表では、オフト監督率いるチームのエースストライカーとして活躍、
『
アジアの大砲 』 と呼ばれた。代表で45試合出場、27得点を挙げている。
1992年アジアカップ決勝での日本を初のアジア王者に導く歴史的なゴールは
今でも覚えている。
同じ読売系?でも
アジアの大砲@サッカー版である方は
おらと同級生。高木君?の裏方での活躍を期待する・・・。
(−。−)げこっ♪
< 参考資料 > フリー百科事典 『 ウィキペディア ( Wikipedia ) 』

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