自由律俳句の代表的俳人で知られる種田山頭火。
五七五の形式にとらわれない自由奔放な俳句を詠みました。
泊めてくれない村のしぐれを歩く
お天気がよすぎる独りぼっち
これだけを読むと、まるで詩のようですが、その心細い様子が目に浮かびます。
破産して熊本へ転居したり、出家得度して行幸の旅にでたり、放浪の生涯を送った人生でした。
その種田山頭火は、昭和14年に終の住処を求めて四国遍路の旅に出ました。
昭和の初期のお遍路は、現在のような観光遍路ではなく、本当に死ぬための旅でした。
いや少なくとも、いつ死んでも構わないという心の準備ができていたはずです。
そして11月1日から新居が見つかる12月16日まで遍路の旅を続け、その時の記録を残したのが「四国遍路日記」です。
その日の天気や泊めてもらった宿の印象、またお接待を受けたことや一緒に歩いたお遍路さんのこと、地元の方との交流の様子など、お遍路の紀行文としては初めての作品でした。
また毎日の細かな記録とともに、時々詠んだ句や心境が綴られています。
淋しく悲しくなるような句や文章が特徴です。
お遍路さんはいつの世でも不安が付きまとうものです。
今日はどれくらい歩けるだろうか、宿までたどり着けるだろうか、食べ物は手に入るだろうかなど、心配し始めるとキリがありません。
道しるべにも、ほぼ毎日のように問い合わせの電話が掛かってきます。
お遍路をしていると、嬉しいこと、悲しいこと、寂しいこと、楽しいことなど沢山のイベントを体験できます。
種田山頭火が人生の不運を嘆き、どれほど心細かったか、不安だったか、何となく彼の気持ちは分かる気がします。
一度「四国遍路日記」を読みたいと思います。