4日午前5時頃、関西本線の踏切でうつ伏せに座っていた高齢の女性が、電車にはねられて亡くなりました。
早朝なのでその踏切で急に具合が悪くなった訳ではなくて、死を覚悟して始発列車の踏切に座ったのだと思います。
その女性の年齢などは不明ですが、高齢にして自殺しなければならなかった悲しさを思うと、胸が苦しくなります。
人生は長いので、生きていれば必ず波乱万丈があります。
亡くなった方のことを責めるわけではありませんが、最終的に死を選んだことは、人生の結末としてはあまりにも卑怯だと思います。
何故ならば、亡くなった方がどれほどの苦労や心の痛みがあったのかはわかりませんが、その人よりも遥かに悲しい思いをしながら生きている人がいるはずです。
癌で余命を宣告されて、家族と共に過ごしている人もいるでしょう。
しかし、卑怯な死に方はせずに一生懸命に生きている姿は立派だと思います。
だから生きることを止めるのは、卑怯です。
太宰治は著作の「人間失格」のように、自殺未遂を繰り返して最後は心中して亡くなりました。
それが素晴らしいとは全く思いません。
作家は三島由紀夫とか川端康成、芥川龍之介など自殺した人もたくさんいます。
「生きる権利があるのなら、死ぬ権利もあるので、その日は自分で決める」
それはあまりにも自分勝手で卑怯ではないですか。
まあ私がこんなことを考えていても、様々な意見の人がいることは承知しています。
所詮他人事かもしれません。
そして、私が自殺を止めることはできませんが、電車に飛び込む人があまりにも多いことに驚いています。
先日、ご夫婦でよくご利用いただいた道しるべ常連のお遍路さんが、
「家内が亡くなりました」
その一言を言うためにお越しいただきました。
ご主人もご高齢なのに、わざわざお越しいただいたことを思うと、思わず泣けてきました。
道しるべを気に入り何度もご利用いただいたので、奥さんの声が今も私の心に聞こえてきます。
「今まで有難うね、主人をよろしく」
いきなり話が飛びますが、死ぬ思いをするのなら、お遍路に出てみてください。
必ず「生きてて良かった」と思います。
昔のように財布を持たず、数年後に出世払いでも結構なので、生きる元気が生まれた時にお支払いください。
食事をお腹いっぱい食べれば、必ず元気が出ますから。
人生にはお金や資産などは必要なくても生きていけます。
借金があるのなら、頑張って返済するのが人間としての務めです。
そして悲しくても辛くても、元気で生きてこそ人間です。
あまりにも寂しい人生の結末を迎えないように、悲しい時はお遍路にお越し下さい。
いつでもお待ちしています。