日本昔話の名作に「姥捨山」があります。
子供の時、この話を知った時は「お年寄りは大事にしよう」と素直に感じました。
さてコロナ禍の中、先日「成人式」を迎えました。
その多くは、中止されたのですが、横浜市のように強行した市町村もありました。
そこでは密の状態になり、若者が酒の瓶を回し飲みしていました。
そのことに関しては特に私が物申すことではありません。
しかし一つだけ言うとすれば、成人式を迎えた時から「大人としての考え方をするべき時が来た」と考えるべきでしょう。
自分は楽しいかもしれませんが、コロナや他の病気でも入院や手術が出来ない人もいるのですから、騒がずに自宅に帰り一人飲みするのがベストでした。
医療関係の仕事でない人は、国のために貢献できることは何もない、と考えるかもしれませんが、他人にコロナを移さない事が最大の協力であり貢献に繋がるのです。
「姥捨山」では、母親を捨ててしまった息子が深く反省して、連れ戻すために山へ引き返しました。
すると、捨てられた母親は莚(むしろ)の上に正座をして、手を合わせてその時が来るのを静かに祈っていました。
今、病院のベッドに空きがないために自宅待機している人が数万人いるそうです。
彼らは感染したことを残念に思っているかもしれません。
悪い行動をしたのであれば反省する必要はありますが、なぜ自分が感染したのかをよく考えて、間違った事があれば修正するのが大人の判断です。
そんな姥捨山のことを考えていると、一つの案が思い浮かびました。
コロナに感染すると高齢者が命の危険に晒されるので、逆に60歳以上の高齢者を収容する施設を指定すればどうでしょう。
それは殺菌設備完備のドームとか体育館で、冷暖房と布団、そして食事の提供と風呂も冬なら病院のように3日に1回で十分でしょう。
そうすれば、若い人たちはコロナに感染しても無症状なら普通に商業活動が出来るし、居酒屋で深夜まで騒ぐのも自由です。
補助金や支援金も必要ありません。
発熱すれば指定されたホテルへ行き、自然治癒を待てば良いのです。
蔓延した以上、コロナと共存共栄する国民全員の「免疫大作戦」です。
またそもそも「go to」キャンペーンに参加している高齢者も多いので、一石二鳥とはこのことです。
各市町村に最低でも1箇所、都会には必要数の体育館を指定するか建設しましょう。
その中では買い物もしないし、外出することもないので財布は必要ありません。
また家賃や税金などの支払いは国が払ってくれるとしたら、入所希望者は殺到するのではないでしょうか。
しかし、コロナ禍がいつまで続くかはわかりません。
数年後に体育館の外に出た時には、コロナが征服したエイリアンのような別世界が広がっていたりして。
SF映画の見過ぎでした、ダメだこりゃ。