今ではEU経済を牽引するドイツのベルリンは、28年もの間「壁」に苦しんだ暗黒の時代がありました。
BSの「ロックが壊したベルリンの壁」を観ました。
ロックが時代と政治を変えたことは、あまり知られていません。
ベルリンの壁は、61年から89年まで一国の首都を半分に分断する、それは狂気の沙汰でした。
そんな中、世界的なロックスター、デビッドボウイが76年に西ベルリンで暮らし始めました。
自分自身を見つめ直したかったのです。
その時に見た光景は、機関銃を持った兵士の元で若いカップルが壁越しにキスをしたりハグをしている姿でした。
その悲しい姿を見て、名曲の「ヒーローズ」が生まれたのでした。
その後デビッドボウイは80年代にはニューヨークに戻り、メガヒットを連発してビッグスターの座にのしあがります。
85年にはソ連の改革が始まり、東ドイツも時代の流れと共に体制が見直される事になります。
87年6月に西ベルリンで行われたコンサートは、スピーカーの一部を壁の東側に向けて行いました。
そして8万人の観客を集めたコンサートが行われ、東ベルリンの人々も流れてくるロックに耳を傾けます。
そして歌った「ヒーローズ」は、ベルリンの壁の前で歌ったからこそ価値がありました。
逮捕者が出る中での「壁よなくなれ」の大合唱は、東ドイツの若者たちの心に火を灯し、時代が変わった事を告げました。
また音楽プロデューサーのマークリーダー氏は、西の音楽を東に密輸しようと、カセットテープを体に貼って数多くの音楽を東ベルリンへ伝えました。
自由な世界を知らなかった東では、シュタージと呼ばれる秘密警察が監視していました。
またマーク氏は、遂に西の音楽を東でコンサートする事を思いつきます。
そして、露骨な弾圧ができない教会が会場に選ばれましたが、極秘ライブは大成功しました。
観客の中にはシュタージの関係者もいました。
国が音楽を規制しても、人が生きていく上で勇気と力を与える音楽は、最も大切なものです。
そんな中、若者の爆発的な力を抑えるために、88年7月には、ブルーススプリングスティーンが東ドイツでのコンサートを行います。
東は、暴動を避けるためにゲートを開放します。
チケットを持たない人も会場に流れ込み、超満員の中でコンサートが行われました。
そして、東で歌われるはずのない名曲「Born in the USA」が大熱唱されました。
観客をステージに上げて一緒にダンスする姿には、観客は大熱狂しました。
東ベルリンの女性がアメリカ人と踊る姿は、時代が変わった事を告げたのです。
そして翌年、ベルリンの壁は市民たちの手によって壊されました。
1989年11月9日、それは歴史的な一日で、東の人々が自由を手に入れた瞬間でした。
以降は私の感想です。
戦後の日本も北と南に分断される危機がありましたが、自由の国で生まれた事とそれを維持してくれた先人に、日本人の私たちは感謝しなければなりません。
今も分断が続く朝鮮半島は、北の人々は不自由な生活を強いられています。
また世界には独裁国家も多数存在します。
その中で各国首脳が世界平和を叫んでも、何の意味もありません。
私は、自由主義や民主主義がベストだとは思いません。
しかし、国の主義によって国民の自由を奪うことは馬鹿げていて、地球上の全ての人の自由は保障されるべきです。
そんな日がいつか実現する事を期待したいと思います。
2016年にデビッドボウイが亡くなった時、ドイツ政府は
「壁の崩壊に力を貸してくれて有難う」
と声明を発表しました。