前回に続いて一昔前の相鉄を。
↑天王町で並ぶ、2100と新6000。東武8000チックな高運転台が70年代の相鉄のスタイルでした。
左の2100は初期車で側面窓が2段窓の車両で、雨樋の処理が下降窓の2100や5100と異なります。更新当初は足周りは2000系のまま釣り掛けでしたが、ほどなく7000系同様のカルダン駆動になりました。
↑かしわ台へ向かう6000系。
当時の相鉄の主力選手です。前の5000系とは打って変わって切妻前面の四角い車両です。側面の扉・窓配置が前後非対称で近鉄や南海ではよく見られる配置も関東私鉄では珍しいです。
なんといっても目に付くのは助士側窓の種別・運行表示器。ここまで、どかーんと大型なものを取り付けられてしまうと、せっかく乗務員室後ろの座席に座っても前面展望が楽しめませんでした。1M方式で1両単位で編成が替えられ編成の自由が利き、長編成化が進むと様々な編成バリエーションがあり(編成中に運転台付き車両が多いのも7000系までの相鉄の特徴でした)ましたが、1M方式ゆえに、制御器の台数が増えメンテナンスに手間が掛かることから、インバータ制御の8000系が入ると急速に姿を消して行きました。
(87.9撮影)