出掛けに限って立て続けに仕事の電話がかかってきたりして、リハーサルに遅れる事がままある。先日も一時間近く遅刻して申し訳ない気分でスタジオを訪れると、小山がロビィで煙草を喫っていた。ひょっとして一人か、と訊いたら頷いた。メールを見たか、と問われた。出る前にはチェックしなかった。奥野が腰痛で欠席だという。
ラヂデパが集まる時、小山、奥野か津原、そして太朗の順である事が多い。小山と奥野だけの間にどういう練習をしているのか知らないが、三人揃えば既にベースレスのバンドだから、わりあい普通に練習できる。
小山と僕だけの時はフォークグループよろしく各々の歌の旋律など確認している。奥野と僕だけだったらフリージャムのような事をやって過ごす。太朗と二人の練習というのは、もう四半世紀も重ねているのでまったく困らない。でも意外と楽器の調整に終始したり。
やがて太朗が来た。この三人での練習も何度も経験してきたけれど、この度は屋根裏大音量が前提のリハーサルだから、ドラムがいないと勝手が違う。
くらもちふさこの蘭丸団のシリーズに、バンドが分裂してしまい、やっぱりドラムがいないと――と悩みはじめる主人公(キイボード)に、ギタリストが「これでカバーしてやるさ」とストラトを捧げ持って見せる素晴しい場面があるが(こういうのは記憶だけで書いているのでディテールに責任は負わない)、現実問題としてはつらい。
リズムマシン? 最近のリズムマシンは実にハイファイで、一聴すると便利そうなのだが、僕は嫌いだ。機械のくせに余計なノリでバンドを引っ張るんじゃない。なるべくシンプルな8ビートをと思い、最初のプリセットを指定しても、まるで〈Foot Loose〉のイントロみたいにカッチョイイ。これに乗せて何語で歌えと?
昔の電子オルガンに付いていたような、あるいは「金庫ですか」というような、チ、チ、カ、ク、と鳴るだけの“リズムボックス”のほうが、僕には余程便利だ。じっさい僕らの世代は、ああいった頭しか打ってくれない代物に合わせて練習しながら、そこに無限のノリが含まれるのを実感してきたのである。どなたか不要品をお持ちじゃないだろうか。法外な価格でなければ買い取りたい。電子オルガンごとだと困りますが。
ボスのDr. Beatの最初のモデルを持っている。あれはなかなか感じ良かった。壊れてしまって今は鳴らない。Linn Drumの初期の製品も良い。しかしたまに売られているのを見つけても恐ろしく高い。
話を戻そう。なにせ腰である。若い人にはわからんだろうけれど腰は厳しい。僕も復帰したばかりの頃はギターを抱え続けるのがつらく、専用のスタンドに立てて演奏しようかと思ったほどだ。運動量の多いドラマーはもっとしんどいだろう。
本番で急にメンバーが欠けたらどうする? と初めて真剣に考えた。
例えば僕が病欠する――この場合、ラヂデパとしてのライヴは難しい。キャンセルして別のバンドに立ってもらうか、竹内さんのように飛切り器用な人にエキストラを頼み、小山メインの曲で凌いでもらうほかない。
太朗が病欠する、あるいは仕事で来られなくなる――僕がオクターヴァを使い、アレンジをシンプルにすれば、数曲は出来るかもしれない。
小山が病欠。今のラヂデパにとって小山の存在は小さくないが、過去と同様の3ピース編成なので、ライヴは可能。
奥野が病欠。奥野は太朗ほど遅刻しないせいか、意外とこのケースは想定していなかった。ラヂキオでさえ奥野のちっちゃなドラムのウェイトは大きい。ドラムのトラックはテープで――というのは、なんとなく美意識が許さない。だったら「いかにも機械」なループのほうがいい。「これでカバーしてやるさ」とギターを捧げ持つか? テクノロジィに頼らないんだとしたら、現実問題、僕のギターはリズムに徹するほかない。リズムソロとでも云うのかな、間奏部で単音弾きをせず、コードの構成音だけを変えて大雑把なメロディを感じさせる奏法も、あるにはある。或いはギターソロは諦めて小山のスキャットにするか(この方が贅沢という気もする)。
ギターを弾きながら、ニール・ヤングのようにホルダーで固定したハーモニカを吹けないものかと思いつき、少年時代に買ったHohnorのホルダーを引っ張り出した。当時は「出来ない」とすぐさま諦め、そのまま死蔵してあった。二度挑戦したらしく、二つも持っていた。
今回は出来た。元々ハーモニカは吹けるのだ、ブルースハープもクロマティックも。そう下手ではない――と思う。少年時代に上手くいかなかったのは、首が細くてホルダーが廻ってしまったからだろう。変に当たって不愉快な部分を曲げたりしていたら、なかなかの使い心地になってきた。6/28のラヂキオで、一曲くらいは吹いてみるかもしれない。
日頃「俺さえ生きていればラヂオデパートは続く」と豪語しているくせに、意外と小心だった自分に気づいた。言い訳すれば、この科白は作曲者としての意志表明である。
テレビでストレイテナーという若いバンドを見て、「このメンバーでなければ不可能」というそのサウンドに感銘を受けた。ラヂオデパートも斯く在りたいものだ。ただし作曲者としての僕の志向は違う。たとえ音痴な鼻唄でも豊かなハーモニィを感じさせるような、逆に云えば切実なるメロディを、一生一度でもいいから生み出せないものか。もし〈夜来香〉のような曲が書けたなら、少々寿命が縮まっても僕は構わない。

0