友人がテイラーのギターを欲しがっている。秋葉原の店のバーゲンに出るという。一緒に並んで、買う価値のある品かどうか確認してほしいと云う。それだけなら気持ち半々だったが、ウェブで広告を見るとエピフォンのRivoliベースが出ていた。問い合わせた。ハードケースが付いていた。太朗は同じ形のベースを使っていて、ハードケースを持っていない。特殊な形状の楽器はハードケースだけでも三万円以上する。楽器を買った方が安い。三人で並ぶ事にした。
整理券を貰ったが、何故かあとで再び並べと云われた。立ち尽くすうち豪雨になった。テイラーを欲しがっている友人は仕事を抜け出して来ているのでスーツである。太朗が傘を貸した。列は動かない。整理券があるのに何故並ぶ必要が、と怒鳴っている人がいる。トイレを借りようとして断られている人がいる。もう滅茶苦茶である。
友人が仕事に戻る時刻になった。金を預かって並び続けた。累計三時間以上並んで、漸く店に入れた。「テイラーは?」と訊いたが当然の如くバーゲン品は失せている。正価に近い新品を勧められた。隣にCole Clarkのバーゲン品が残っていた。友人がそちらにも興味を示していたのを思い出し、こちらを試奏すると云った。
絃が低く弾きやすい。ジプシージャズで使われるSelmer系のギターに近い音色。僕は好きだが友人にはどうか? 彼が気に入らなかったら自分が買い取るか? 一、二分、弾いていたら、他の客のために試奏をやめろと云われた。しかしコール・クラークを待っている客など居ない。豪雨のなか何時間待ったと思っている、この一瞬で決めろとはどういう事か、と怒って店を出た。
太朗はベースのフロアに居る。電話した。太朗が目当てのベースは売れ残っていたが、持参した楽器が付属のケースに入らないという。微妙にサイズが違うと云う。蕎麦屋で焼酎の蕎麦湯割を飲みながら待った。太朗はRitterのバッグを安く買い、元のぼろぼろのギグバッグは捨てていた。EB-2が入るリッターも珍しい。彼は並んだ甲斐があった。テイラーを欲しがっていた友人もまた仕事を抜けてきた。事情を話して金を返した。落胆しているので他で探してやると約束した。
隣駅の御茶の水に出て、まず最近ウクレレを始めた太朗のためにアキオ楽器に行く。ここのウクレレは安くないが、凡て調整し直してあるうえ半永久的な保証が付いている。今日は買う気はないと告げても、いつまでもたっぷりと試奏させてくれる。こういう店を楽器屋と呼ぶのだ。客は憧れの楽器に巡り会い、その実力を堪能して、懸命に貯金する。もし売れてしまっていたら、苦心して同等の品を用意してくれる。昔ここで気張って高級ウクレレを買った。すぐに不調が出た。無償で修理してくれたが音色が変わった。悲しんで電話をかけると、より稀少価値の高い楽器に交換してくれた。そういう店だ。店主の顔が凛々しい。この店は日本の宝である。ウクレレが売れず御苦労の時代もあった事だろう。太朗は余所ではあまり売っていないフロロカーボンの絃を買った。彼は行った甲斐があった。
他の楽器店を覗いてまわったがテイラーは殆ど見ない。見ても高い。疲れてカフェテリアに入ろうとしたら日曜なので閉まっていた。仕方なくサイン会の後などに利用してきた、三省堂の地下のビアレストランに入る。ゆっくり煙草を喫えると思いパイプをテーブルに出していたら、パイプはやめてくれと云われた。受け容れてくれる店の多さに愕いているくらいで、それはちっとも構わない。パイプ煙草は紙巻に比べて習慣性が薄く、何時間でも喫わずにいられる。太朗が灰皿を所望した。何故かパイプ用の灰皿が出てきた。知らずに使っているのだろう。この辺から時空が乱れてきた。
店から一人一品の料理を頼めと云われた。これも構わないのだが、急に貧乏臭い心地になってしまうのは僕だけだろうか。客を酒で釣り料理で金を毟る――客は店に対して不敬なものだから、そう扱って当然だという思いが、なにか伝わってくるような気がする。以前もそう云われ、テーブルが一杯になって困った記憶があるし、まあこれも宜しい。ただ既に蕎麦屋に入っているので空腹ではない。暫くしたら頼むと告げた。最初のビールを飲み終える頃、折悪しく太朗に電話がかかってきた。これから夫婦で食事するという相談らしい。実に都合が悪い。
太朗はドイツビールを飲みたがり、しきりにうろちょろしている店員に、事情があり食べられないので小さなビールだけいただいて店を出てもいいか、と訊いた。退出しろと云われた。これは酷い。立飲みの燒きとん屋でも受けない扱いだ。腹の負担にならない料理を提案してくるなら、まだ話はわかる。本来は、次回はお召上がりを、とでも諭すべきだろう。レストランのなんたるかを履き違えている。強制的に固形物を食わせる場所だと云うなら、そこは餌場である。だいいち「飲むパン」たるビールに失礼じゃないか。
入ったからには――と店の事情を押しつけるのはグロテスクだと思い、苦言した。ここに離れたテーブルで、塩が出ないとシェイカーをテーブルに殴りつけていた団塊世代風のカップルが口を挟んできて、ますます状況が混乱した。団塊紳士が「ここに何年通っている」と僕に問う。御婦人は猿の威嚇よろしくこちらを睨んでいる。眼が乾くのではなかろうか。
三省堂に地下に初めて入ったのはいつだったろう? 二十年は昔だ。しかし「通う」というのはどういう頻度を云うのか? そんな事を答えた。ここの店名が変わる前からかと訊かれた。質問の意図が分からない。店名が変わればそれは違う店である。違う店と認識されたいから変名する。なんだか分からないが、僕らが「店を間違った」態度をとっているのが気に食わないらしい。厳格なルールのある店、それに盲従できる人々のための店と教えてくだされば、今後は間違えまいとも思えたのだが、追っつけ「ここは物書きの街だ」と主張しはじめた。論旨が変わった。すると僕の街である。敵なんだか味方なんだかわからない。太朗は怒ってテーブルに金を置いて出ていった。
「そのまさに物書きなんですが、貴方は誰なんですか」と訊いた。より大声で「駿河台下の○×を知らない奴はモグリだ」と仰有る。モグった覚えはないものの存じあげない。上に三省堂があり近所に集英社や美術倶楽部ひぐらしがあり、まさに僕の仕事場なのだが存じあげない。日頃の不勉強を恥じ入るばかりで、また根っから不勉強な人間だから眼から鱗のとれる日も訪れまい。本当はもっと暴力的な事や滑稽な事も云われたのだが、僕の「聞き返し癖」の産物に思われるし、紳士の名誉のためにも伏せる。準備なしに喋るのは難しいものだ。
自分が我慢しているんだからお前も我慢しろという論理に生産性は無い。というか、システム崩壊への暴走に他ならない。太朗が正直に事情を話して店に譲歩を求めたのは、そこをレストランと認めたうえでの敬意である。彼は旅行代理店の社員で欧米のレストランに詳しい。その平均的な対応を求めたに過ぎないと感じる。
「物書き」である事を、まるでステータスのように振り回す可笑しさは別に、帰途「駿河台下」という言葉を考えた。駿河台という地名は、徳川幕府が駿府の人々を住まわせた事に由来する。そのシモ手。ニュアンスとしては「神田明神下」に近い。津原という苗字が示すとおり僕の父方は菅公の膝元、母方は平家の蝶紋を持っているので、徳川の威光はぴんと来ないのだが、住所や出自にステータスを求めざるを得ない気分はなんとなく理解できる。世が世なら、という奴だ。昔の僕はその種の恨みに囲まれて暮らしていた。もし僕の苗字が徳川だったら、紳士はどういう態度であったろうか。
ちなみに夏目漱石は今の新宿区の出で、残存する喜久井という地名は、菊に井桁の夏目の家の紋に由来する。明治以降の文学に於いては、そちらぞ本場という事になる。

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