久々の投稿です。随分と昔、ユリイカのビョーク特集に寄せた文章を、こちらに再録します。どちらかと云えばプリファブ・スプラウトに肩入れしていた自分が、妙に懐かしい。
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2001.12.6
月の女神の三つの高楼
肉声であることがふと疑わしくなるほど透きとおった歌声で、才人パディ・マクアルーン若かりし日々の歌曲を彩っていたのは、ウェンディ・スミスという可憐な金髪女性だった。かつて、ふたりを含むシンプルなギターバンド〈プリファブ・スプラウト〉が東京公演をおこなっている最中、ウェンディ嬢は不意に、思いあまったように履いていた靴を脱いだ。そのまま歌い続けた。足が痛いと、つい脱いでしまう癖がある人なのかもしれない。演出にしては愛想のかけらもない所作で、実際、まだ痩身だった頃のマクアルーンにばかり見蕩れて、彼女の身長が変わっていることに気づかずにいた客は少なくなかったはずだ。
さて、この原稿を書いている現在、まさに来日公演中であるビョークは、はたしてどのような衣装と化粧で聴衆の前に現れたものだろうか。私が肉眼でビョークを見たのは、一九九六年、『ポスト』発表後の日本武道館公演においてのみである。お世辞にも音響の良い会場とはいいがたく、また短いプログラムは、おおむねCDの「かろうじての再現」の域にとどまっており、印象は芳しくなかった。しかし書きたいのはそういった苦言ではない。当夜、ビョークは、銀紗のワンピースを着ていた。最初から裸足だった。こちらは、間違いなく演出である。それなりの効果を奏していた、と思う。
広いステージをぺたぺたと動きまわるビョークを眺めながら、私はしきりにウェンディ・スミスのことを思い起こしていた。ウェンディの粗忽さとビョークの周到さは、私のなかでみごとに陰陽をなしていた。アングロサクソン然とした金髪を揺らしながら、ハイヒールを痛がって捨てたウェンディと、イヌイット然とした野性的容姿に合わせ、最初から靴を履かなかったビョーク。まるで拮抗するふたりの女神を見合わせるようではないか。いうなれば、日神と月神。
ちなみにウェンディ・スミスというのは、〈ヤング・マーブル・ジャイアンツ〉の後身グループ〈ウィークエンド〉のレコードジャケット画を手掛けたりもしていた、なかなかの才媛であり、「育ちのいいコーラスガール」というだけの存在ではけっしてなかった。〈シュガーキューブス〉というポップス・コラージュ的なバンドにあって、ぎこちないアンサンブルを破壊せんばかりの野太い声を張りあげていたビョークが、願っても至りえぬ境地に、往時の彼女はいた。マクアルーンの宝石のような歌曲を飾るプラチナ細工でありえた。しかしスターにはならなかった。〈プリファブ・スプラウト〉というバンド自体、その位置へと昇るには懐古的すぎた。音楽として懐古的すぎるというわけではなかったが、時代との共振は難しかった。
一方、歌唱技術は確かなものの、陰翳に乏しい不器用な声の持ち主であるビョークが、次々と背景を置き換え自己イメージを立体化していく手法によりおさめた商業的成功については、周知のとおりである。
そこそこ売れて手堅いファン層を持ちえた音楽家と、大衆を扇動しうるほどの名声を獲得した音楽家の、どちらが幸とも不幸とも申しがたいが、単純に歌姫のイコンとしての両者を見比べるに、ビョークのほうが不自由そうで、息苦しく感じられるのは確かだ。それだけ我々がビョークを「知ってしまった」ということかもしれない。ビョークをとりまく幻想の霧は、やけにうっすらとして、辛抱づよく待っていれば晴れあがりそうにも思える。彼女の実像を知っているわけではないから、あくまで印象として、なのだが。
無用な誤解を避けるために明言しておくけれど、私は〈シュガーキューブス〉のかなり早い時期からのファンであり、独立してからのビョークの音楽も愛聴し、周囲に勧めてもきた。彼女の声も、音楽的センスも、なぜかときどきジャック・ニコルソンに見えてしまう容姿も、好もしく感じている。ものすごく好きだ、といっていい。そのうえでの所感である。
二十世紀とりわけ後半のポップ・ミュージックは、それ自体が浅薄な信仰の対象となる過ちを重ねつつも、全体としてはルネサンス風に機能していた。感性の解放を謳いあげてきた。しかし、複雑怪奇な現代の、優秀なサヴァイヴァーたるビョークが、女性のための(厳密には、ビョークのための)ポルノグラフィとでも称すべき大時代な悲劇『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に与さねばならなかったことは、ルネサンスとしてのポップスの行き詰まりぶりを象徴しているかに思える。巧みにつくられた鮮やかな映画ではあるが、そこに新しい解放の発見はなく、定型への執着ばかりがちらつく。
想像するに『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、ビョーク版『トミー』となるはずだったのだ。そうならなかったのはひとえに、ビョークがブロマイド的でもピンナップ的でもなかったことに依る。実像のビョークならば、主人公セルマの苦境を軽々と乗り越られるであろうことが、観客に頻繁に呈示されてしまう。しかしながら、セルマ的悲愴さえポップ・チューンに変換してしまうビョークだからこそ、現代の国際的スターたりうるのであり、彼女をフィーチュアしたミュージカルが制作されるのであり、つまり『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、最初からそういうディレンマを抱えた映画であったことになる。「ビョーク」でありながら「不自由」なセルマは、宿命的に不条理な存在である。
ウェンディ・スミスと同じく金髪碧眼のロジャー・ダルトリーが、悲壮かつコミカルに感覚障害者を演じた『トミー』において、主人公が達する素朴な自然回帰志向は、当時の観客に不条理感を与えはしなかったろう。ロックの市場がまだまだ小さく、演奏側も聴衆も均質な時代だった。ロックスター像が、レコードジャケットやポスターの上にしか存在しなかった時代だ。ザ・フーの面々の気分と、観客の夢想との重なりに、トミー青年は佇みえた。
ミュージカルの古典的手法をふまえるにしても、仮に「ビョーク」映画として制作されたのが、彼女を歌姫に据えた『ファントム・オブ・ザ・パラダイス』だったら、映画としてもっと成功しただろうし、個人的にもぜひ観てみたいと感じる。しかしそれはもはや「ビョークの」映画ではないし、だいいちビョークの運命を自在に操るスワンやファントムなど、いったいどこから連れてきたものか。ジャック・ニコルソン?
〈シュガーキューブス〉でのビョークは「文明にさらわれてきた野性」を演じて、なかなか器用に役割をこなしていた。同時に「これは虚妄である」とアピールし続ける怜悧さも有していた。独立から『ホモジェニック』までの音楽も、やはり同じ構えで制作されてきたと思う。二重の自己演出が築いた二つの高楼の狭間に、彼女はいた。どちらかに登るためには必ずどちらかを留守にせねばならず、そういう、周到さの楽屋裏がかいま見えるごと、むしろ、今のうちにビョークを聴いておかねば、という切迫感に近い思いにかられたのは不思議といえば不思議なことだが、芸術家の「旬」とはそういうものだろう。
三つめの高楼からの歌声たる『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に対する私感は、すでに綴ってきたような具合だ。じつは昔から「ビョーク」の根底に脈々としていた、いわば「ジュディ・ガーランド趣味」を、私はけっして嫌いではないのだ。のみならず、映画の出来そのものも、たぶん高評している。だが、もし彼女の次の主演映画にも同質の演出がなされるとしたら、そのタイトルが『ジャンヌ・ダルク』ではないことを切に祈る。
世のいったいどれほどの人達が、ほんとうにビョークの声と容姿を好んでいるのか私には想像がつかないので、彼女にとって、聴衆にとって、望ましい「ビョーク」を思索するも、これといった定見には至れずにいる。ただ、自力では操作しようもないほど強烈な歌声を、他人に手玉にとってもらえるリミックスという方策を、彼女自身が心地よく感じていることは、その種の活動への力の入れようからわかる。ふたたび高楼の譬えを用いるなら、曲ごとに三つの高所を行き来できるこのスタイルは、じっさいビョークを最も解き放つものであるかもしれない。
「イン・アザー・ワーズ」というワルツが、ボサ・ノヴァや4ビートへの変換により「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」という本質を明瞭にしたように、ビョークの歌も、他の才能による秀逸なレシピによってスタンダード化していくタイプの芸術かもしれない。そんな思いがあったからか、本稿を手掛けるにあたり聴き返してみたCDのうち、この一枚、と感じられたのは、リミックス集『テレグラム』だった。
2001.12.10

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