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2006/1/24

東アジアとヨーロッパ-10  国際政治・金融・企業

江戸幕府が開かれた頃、カトリック対プロテスタントの争いが激しくなった事は、前回の投稿で紹介しましたが、イギリスに於いてはイギリス国教徒と清教徒(ピューリタン)が争っていました。  

ピューリタンとは、カルヴァン派のプロテスタントで、彼らは聖書をよりどころに、宗教的な偶像や物に対する執着を捨て、ただ神を信じる人だけの集まりのみを究極的な価値とする人達で、イギリス国教に反対していました。  少しややこしいのですが、イギリス国教会から分離する派と、イギリス国教会内部から改革しようとする派がありました。

エリザベス1世は、イギリス国教を推進していましたが、1603年に亡くなり、その後のジェームズ1世とチャールズ1世は、ピューリタンに弾圧を加えたので、国王軍(イギリス国教)と議会軍(ピューリタン)の間に戦争が起こり、ピューリタンが革命に成功し、国王が処刑された清教徒革命(1642−1649年)は有名です。

ディズニーの映画で有名になった「ポカホンタス」も江戸幕府が開かれた頃の話です。


この時期、イギリスからアメリカに殖民していった大きな理由は3つあります。

一番目は、エリザベス1世が1570年代頃からアメリカ大陸に植民地建設を考えていた事、第二にはピューリタンがイギリス国教会からの迫害をまぬがれ安住の地を求めた事、第三には当時イギリスは飢饉に見舞われ、大不況とも相まり、外に解決策を求める以外になかった事です。

1606年に、ロンドン・ヴァージニア会社という植民地建設会社が設立され、同年12月に三隻の船で、144人が送り出され、1607年の4月に、生き残った105人がヴァージニアに上陸し、ジョン・スミスがインディアンの土地に植民地としてジェームスタウンをつくりました。

しかしながら、入植者たちに悲惨きわまる飢餓が襲い、イギリス人同士の死体や、排泄物まで食べるという悲惨な状況でした。 そんな中、原住民の土地に勝手に侵入し、食料の略奪を働いたキャプテン、ジョンのスミスは、ポウハタン族のインディアンに捕らわれ、死刑にされかけました。

ここで、我が身を投げ出し、彼の命を救ったのが、首長の娘ポカホンタス、当時12歳です。

そして彼女は、飢えた開拓者達に、トウモロコシ、カボチャ、七面鳥などの食べ物をジェームズタウンに度々運び、彼らを救ってやりました。  しかしながら、彼らを警戒しない彼女は、ずるいイギリス人に利用されてしまいます。

なんと、1613年にサミュエル・アガールはポカホンタスを策略にはめ、誘拐し、身代金を要求しました。 絶世の美女の誉れ高かった彼女は、レイプされ、家に帰ることも許されず、強制的にキリスト教教育を施され、1614年には洗礼を受け、レベッカ名が与えられました。

その時、1年前に妻を亡くした、ジョン・ロルフという煙草事業家が彼女に一目惚れし、2人は結婚し。子供を授かりました。  このヴァージニアの土地で、インディアンに煙草つくりを教わり、品種改良していったのが、今日の煙草、「ヴァージニアスリム」です。

清教徒たちは、野蛮なインディアンを、立派にキリスト教に改宗させ、英語も喋れるように教育したと、植民地の成功をプロパガンダする為に、レベッカ(ポカホンタス)をイギリスに連れて行きました。

国王、王妃、カンタベリー司教などにも謁見し、ポカホンタスの美しさと聡明さは誰の目にも明らかで、彼女は絶大な評判を得る事になります。

しかしながら、大自然の中で育ったポカホンタスは、イギリス人の持つ病気への抵抗力はなく、アメリカの大地に帰れることなく、1617年に若くして病死し、聖ジョージ教会に埋葬されました。  ポカホンタス、享年21歳。

彼女に命を救ってもらった清教徒たちは、彼女の恩に答えることなく、ポウハタン族を皆殺しにし、絶滅に追いやりました。

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