renaissancejapn@aol.com

2010/1/24

クリックすると元のサイズで表示します
天安河原(あまのやすかわら)宮   主祭神 思兼神(おもいかねのかみ)=八百萬神
「天岩屋(あまのいわや)」に隠れられた「天照大御神」を巖から出てもらうため、神々が集まって相談した場所が、天安河原。   宮崎県 高千穂



神道の根幹は、祭祀と儀式にあり、神祇祭祀を行うのが祭祀支族で、彼らは先祖代々、神官や宮司、祝部(はふりべ)などの神職にあり、伝統を今日まで伝えてきました。  神道祭祀の起源は古く、歴史的には古代、伝説によれば神々の代にまで遡ります。

そして、本格な祭祀の最初は、 「 天の岩戸開き神話 」 において、天照大御神を天の岩戸から出そうとする一連の神々の行為が、すべて祭祀儀式である事が分かります。



-------------------------- 天岩戸別神話の祭祀儀式 -------------------------


まず、全ての指揮を取っているのが、 「 思兼神(おもいかねのかみ)= 思金神 」 で、儀式の発案から統括を行った、いわば祭祀長にあたります。

率先して、常世の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせた彼の指示で、 「 天津麻羅(あまつまら)」 が、山から鉄鉱石を掘り出し、それを使って 「 伊斯許理度命(いしこりどめのみこと)」 が、八咫鏡(やたのかがみ)や日矛(ひぼこ)を鋳造し、祭祀用の勾玉を  「 玉祖命(たまおやのみこと) 」 に作らせました。

用具が揃うと、「 天太玉命(あまふとたまのみこと)= 布刀玉命 」 と 「 天児屋根命(あめのこやねのみこと)」 が、祭祀を開始。  天太玉命は、五百津真賢木(いおつまさかぎ)= 真坂樹(まさかぎ) 」 に、八咫鏡が勾玉などを飾りつけ、それを自らが持ちます。

天児屋根命は岩戸屋を前に、祝福の太詔戸言(ふとのりとごと)= 祝詞 を、奏上しました。

手力雄神(てぢからおのかみ)= 天手刀男神 は、天岩戸を開くべく準備し、天鈿女命(あめのうずめのみこと)= 天宇受売命 は、葛(かずら)を髪にさして、ほとんど裸の状態で踊りを舞うと、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑い、

この声を聴いた天照大御神は何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、 「 自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、天鈿女命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか 」 と問いました。

天鈿女命が、 「 貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです 」 というと、天児屋根命と天太玉命が、天照大御神の前に鏡を差し出し、鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていた手力雄神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出し、

すぐに天太玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「 もうこれより中に入らないで下さい 」 と言い、こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなったという祭祀儀式です。


太陽神たる 「 天照大御神 」 を引き出すための、 「 天宇津女命 」 の踊りは、母なる大地が生殖力を再生し、停止していた性器が息吹をを取り戻し、樹木の芽吹く春を迎える神事的所作で、また神々の笑いは、春を招く笑いの神事的所作なのであり、この天の岩戸神話は、冬至の日における太陽再生儀式を、神話化したものであり、

エジプトのホルス神、地中海沿岸のミトラ神、イエスキリストの12月25日の誕生日に見られるように、12月21日の冬至に昼と夜の長さが同じになり、12月22、23、24日に太陽の高度は最も低い位置に留まり(古代の人は太陽の衰え、・死と考えた)、3日間後の12月25日に、再び太陽が力を取り戻し、高度があがってゆき、復活したと考えたのと同じであります。 12月25日がイエス・キリストの誕生日としたのは、AD325年にローマ皇帝コンスタンティヌス帝が決めたもので、地中海地方では古くから太陽神が12月25日生まれであり、既に国民たちがその日を祝っていたので、キリスト教を公認した後に、イエスの誕生日を、ホルス神やミトラ神の誕生日と同じ日にしたものです。 


フリーメーソンとは何か (天文学的考察)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/720.html


--------------------------------------------------------------------------




これらの神々の中でも、 「 天 」 を冠した、天鈿女命、天児屋根命、天太玉命、は別格で、それぞれ祭祀支族の祖先になっています。

天鈿女命は 「 猿女君(さるめのきみ)」 、 天児屋根命は 「 中臣氏(なかとみし) 」 、 天太玉命は 「 忌部氏(いんべし) 」 という具合に、それぞれの祭祀支族の太祖として知られています。




猿女君

天鈿女命の末裔である猿女君ですが、神々の御霊を身に宿したり、神楽の舞を行って、鎮魂を行う巫女の一族で、代々女系で祭祀が伝えられていったとされ、中世になると次第に衰微し、代わって伊勢神宮などでは、神に仕える 「 斎宮(さいぐう) 」 が設置されました。 猿女という名前は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が後に、猿田彦と結婚したからで、猿田彦は、いうまでもなく、天孫降臨の際、神々の道案内をした神で、神輿などの行列では、常に先頭を歩く露払いの役目を担っています。

猿田彦は、四国の阿波忌部氏の氏神を祀る、大麻比古神社の主祭神になっています。 猿という字は、「 申 」 とも書き、これに示編をつければ神になり、それ故に 「 神楽(かぐら) 」 の猿っぽいものという意味で、狂言的な踊りや舞を 「 申楽(さるがく) 」 といい、これが 「 猿楽 」 となり、時代が下って、観阿弥・世阿弥によって、猿楽は芸術性が高められ、 「 能楽(のうがく) 」 に発展してゆく事になります。

あくまでも個人的な好みの問題になりますが、私は神楽は神聖で、遠くシルクロードの異国情緒があり好きですが、能楽には神聖、芸術性、人の心を心地よく癒すものを感じられず、好きではありません。  

観阿弥・世阿弥が何ゆえに有名になったかといえば、世阿弥は絶世の美男子で、時の権力者二条良基の寵愛を受け、藤原の一字を取って藤若という名を授かり、今度は足利義満が権力を握ると、今度は彼は良基を捨て、義満の寵愛を受け、保護され、有名になったに過ぎないのです。 





中臣氏

祭祀支族の中で、最大規模を誇るのが、天児屋根命の末裔である中臣氏であり、中臣の中は、神と人間の間を取り持つ支族という意味です。 人が神様に願い事をするには、祭祀儀式を行う者に代理にたってもらわねばなりませんが、中臣氏は祈祷や祝詞などの祭文を奏上したり、さまざまな儀式を執行する事により、人の願いを髪に届けます。

反対に人が神の意思を伺うには、託宣や予言があり、動物の骨を焼き、そのひび割れにより吉凶を占う事もありますが、こうした占いを専門に行っていたのが、 「 ト部(うらべ) 」 で、ト部と中臣氏は同族で、ともに宮中祭祀を担っていました。

平安時代になると、中臣氏の勢力は大きくなり、伊勢神宮へ朝廷から送られる弊帛使(へいはくし)の任も全て、中臣氏が独占するようになりますが、何故に中臣氏が力を持ったかといえば、645年の 「 大化の改新 」 で、このとき中臣氏は、中大兄皇子(後の天智天皇)と組んで、中臣鎌足が蘇我の入鹿を討ち、政治改革を実行したことにあります。

この功績により、中臣鎌足は藤原姓を賜り、ここに日本の政治を動かす天下の名門、藤原氏が誕生する事になります。



八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html
下鴨神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1047.html
陰陽師(おんみょうじ) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1048.html



忌部氏

現在でも、皇室の祭祀儀式を取り仕切っているのは中臣氏で、表の神道を仕切っているのは中臣氏、裏の神道に通じているのは、もう一つの祭祀支族である、忌部氏であります。


天の岩戸が開いたときに、どうして祭祀支族が集まり、儀式を行ったかは、天照大御神が隠れた(死んだ)からであります。  神に限らず、人が死ぬと、日本では家の玄関に 「 忌中 」 という貼り紙を行いますが、忌中の 「 忌 」 とは、何かを忌むことを表し、禁忌やタブーといった意味に使われます。  そして、人が死んだときは、家族や親戚は婚礼や祝賀行事を忌み、それらを自粛するのが、日本の慣例です。


神道の祭祀を司る 「 忌部氏 」 の名前に、忌という文字が含まれているのは、偶然ではなく、人の生死に関わる事には、常に儀式がつきまといますが、その儀式を一般の人が行うのはタブーで、神道の伝統では、儀式を行う専門の祭祀支族でなくてはならず、忌部氏とはそういった役目の支族なのであります。

天照大御神が隠れたとき、祭祀支族が行った儀式は、葬儀であり、死んだ天照大御神を祀る葬儀こそが、天の岩戸開き神話の重要なところであり、神道では葬儀にあたり必ず榊(さかき)を供えますが、その 「 榊 = 真坂樹 」 を手にしていたのが、 「 天太玉命(あまふとたまのみこと)= 布刀玉命 」 で、この子孫である忌部氏こそが、神道祭祀の根幹を担っています。

遺体を焼く、火葬場を 「 斎場(さいじょう) 」 といいますが、これは本来、神を祀った神聖な場所をさす言葉で、 「 斎 」 には、何かを清めるとか、神聖さを保つために、俗的な行為を慎み、物忌みするという意味があります。  このため、藤原氏の中でも、神道祭祀を行う人々は 「 斉藤 」 という姓を名乗るようになりました。

同様に、803年、忌部宿弥浜成(いんべすくねはまなり)は、「 忌 」 という文字を嫌い、忌部を 「 斎部(いんべ) 」 と改姓、これに習って、多くの忌部氏が 「 斎部氏 」 と名乗るようになりました。

以前、TVを観ていたら、忌部氏は徳島県にしかいないような言い方をしている番組がありましたが、それは間違いです。  「 天太玉命(あまふとたまのみこと)= 布刀玉命 」 には、5人の配下がいて、阿波・讃岐・紀伊・出雲・筑紫伊勢の忌部氏の祖がおります。

しかしながら、阿波忌部氏の祖である、天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、天の岩戸開きの際、榊に白和弊(しろにきて)をつけたとされ、この故事により、阿波忌部氏は代々、儀式に使用する木綿や麻布を朝廷に献上しています。 特に天日鷲命直系の忌部、 「 三木氏 」 は、御衣御殿人と任命されており、彼らが作る麻布は、大嘗祭(だいじょうさい)で、新しい天皇が着る 麁服(あらたえ) の材料とされており、阿波忌部氏は重要な祭祀支族であることには間違いありません。


9
タグ: 天皇 神道 祭祀

2014/5/5  10:32

投稿者:豆助
阿波忌部本宗家の三木家は、
今は普段そこらへんに何処にでも居るような農家(但し大百姓)で御当主は何処にでもいてはる普通の農家のオッチャン。
しかし、皇室に何事か有った場合(大喪礼、即位礼他)は
宮内庁より召されて宮中に伺候参上する事が義務づけられていらっしゃる由。
この際は衣冠束帯の凛々しいお姿。
神代の奉納芝居は今なお連綿としてあります。

※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ