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2010/3/22

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桜 バラ科サクラ属サクラ亜属  日本では数百万年前から自生
可愛く美しく咲き、潔く散る桜は日本人の精神を象徴するものとされる


稲作と桜   
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
富士山と桜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html


最近では、歴史に科学的メスが入り、今まで私達が学んできたものが否定され、闇に葬られた物的証拠や伝説が事実である事が明らかになってきました。  


現在、発見されている世界最古の土器は1988年、青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前(縄文時代前)のもので、長崎県佐世保の泉福寺洞穴では、1万2000年前の豆粒文土器(とうりゅうもんどき)が発見されています。   

2012年6月には、中国の江西省で見つかった土器が約2万年前と、中国から報告されているので、現時点ではこれが最古のものです。 しかし、小さな破片が一ヶ所で見つかっただけに過ぎず、土器ではない可能性が高いともされています。

また、発見されている世界最古の磨製石器は、長野県の「日向(ひなた)林(ばやし)B遺跡」で、約3万年前のものです。


世界最古の漆製品は福井県若狭町の鳥浜貝塚で発見された1万2600年前(縄文時代)のもので、北海道の垣ノ島B遺跡からは約9000年前のものが発見されており、漆製品は、一本一本の糸に漆を塗って加工していることから、もっと単純な漆製品はもっと古くから日本に存在したものと思われます。

縄文時代には、漆で釣り針と糸を接着していたことも知られており、6500年前の朱塗りの櫛が鳥浜遺跡から発掘されています。 磨製石器・土器・漆製品どれも日本以外の世界古代文明のよりも圧倒的に古いものであります。


世界最古の調理後 日本で発見
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1790.html


さらに、沖縄の与那国島にある海底遺跡は、約1万2000年前のものだとされています。 


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与那国島にある海底遺跡
http://www.youtube.com/watch?v=DgFCq14oWGA&feature=fvw



また、死者の埋葬は他の動物には見られない人間だけの習慣ですが、世界最古級の古墳は、約2万年前の大阪府藤井寺市のはさみ山古墳。  世界最古の貝塚も昭和25年に、日本の三浦半島で発見された1万年近く前(縄文時代早期前半)のもので、自然への感謝の気持ちを込めて貝を埋葬したものであり、日本の文明の古さや日本人の精神文化の高さを表しているといえます。 

さらに、インカ帝国をつくった人々は、アメリカ大陸に渡った縄文人であることもDNA分析により、今日では世界の学会でも正式に認められています。


アメリカ大陸に渡った縄文人
http://www.gondo.com/g-files/wara/wara.htm


私達が教科書で学んだ古代文明の歴史は、全て欧米人が世界各地を植民地化したときに、彼らが発見・発掘・認定したものがスタンダードになっており、植民地化されなかった日本の研究がされていなかったのは必然であり、歴史書も過去を知る手がかりにはなりますが、所詮は戦争に勝った側が自分に都合よく書いているものであることは否定できず100%信用するわけにはいけません。 

それにしても、世界四大文明よりもはるかに古い、日本の文明の形跡は何なのか?  それは、環境歴史学といった学問が最近では盛んに研究され、地球の環境が、人類の歴史に大きく影響しているという事が分かってきて、日本の超古代文明も明らかにされつつあります。

 


日本の国体 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1052.html




先ずは、地球上の人類のおこりから述べたいと思います。 



霊長類の進化の歴史は約8500万年前に遡る事が出来、人類の発祥の地は、東アフリカである事は、DNA分析で世界でも異論のないところですが、何故に東アフリカであるのかを説明しますと、アフリカ大陸のエチオピア、ケニア、タンザニアにまで走っている世界最大の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)=地球の割れ目、がその原因となっています。 



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アフリカの大地溝帯



約800万年前に地殻変動が激しくなり、アフリカの大地溝帯の東側が上昇し、西側が沈下し、巨大な壁ができました。  壁ができた事により、西側からの湿った空気が、雨となり西側だけに降り、東側のケニア・エチオピア・タンザニアは逆に乾燥することになりました。

それによって、東側では森が減少し、乾燥地に取り残されたチンパンジー・ヒトの祖先の中から、二足歩行をはじめるものが出現し、人類に進化してゆき、西側の湿原地に入ったグループは、現在のチンパンジーの生活にそのまま適応してました。



約90万年前には、ヒマラヤが形成され、ヒマラヤを境にした東側は湿潤地帯となり、西側は砂漠・乾燥気候の地帯となります。  現在のような赤道西風のパターンができたのもこの頃で、温暖期には赤道西風が北上し、寒冷期には南下します。 

ヒマラヤの北側は、昔は南からの湿潤な空気がヒマラヤを越えて湿潤な気候でしたが、ヒマラヤが上昇し高くなり、南西の湿った空気がヒマラヤにぶちあたり、今日のようなモンスーン循環が形成され、東洋の原人と、西洋の原人との間に、文化的相違ができ、風土の骨格ができたのはこの頃です。 

同じ頃、日本列島も今日に近い姿となり、大阪湾と六甲山の1500メートルほどの落差も形成されました。  



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約500万年前に登場した猿人(アウストラロピテクス)から、ヒト属(ホモ属)は約200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から別属として分化し、新人(ホモサピエンス=知恵のあるヒトの意味)は40万から25万年前に現れました。  

約20万年前に、アウストラロピテクスからネアンデルタール人も枝分かれし、ネアンデルタール人は、我々、新人(ホモサピエンス=知恵のあるヒトの意味)の祖先と考えられていましたが、最近のDNA分析から全く別系統、別種の人類であることが分かっています。  


東アジア・日本人の祖先は、約3〜6万年前に東アジアにやってきた、アフリカで生まれた新人(ホモサピエンス)であります。



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この頃の地球の環境は、約14万年前のリス氷河から間氷期へと、大きな気候の温暖化があり、約11万5000年前から最後の氷河期(ウルム氷河、最終氷期)が始まりあすが、その前半の11万5000年前から7万年くらい前は、非常に多雨で温潤な時代でありました。

7万年前に冷涼で湿潤な最終氷期の初期氷河が終わり、最終氷期の亜氷期が始まり、この時代以降、寒冷で乾燥した気候となります。

そして、3万3000年くらい前に、最終氷期の最寒冷期がきて、人類の数は、40〜1万人にまで減少します。  何故そのような事が分かるのかと言えば、世界にいる現代人類のDNA・ミトコンドリアのばらつきが、チンパンジーのばらつきの1/10である事から、かなり最近に極めて少数の集団から現代人類が出発していると考えれるからであります。 

ここで、人類は石器を発達させ(後期旧石器革命)、原人は1個の石から、1個の石器しかつくりませんでしたが、現代型新人は、1個の石から複数の石器をつくるようになり、大量虐殺・大量消費を可能にし、地球上に拡大してゆくようになりました。


1万4500年頃前に、氷河時代(ウルム氷期、最終氷期)が終わり、後氷期といわれる温暖な時代へとなりますが、この気候の激変は凄く、50年くらいで、気温は7度上昇しています。  そして、この気候変動により、大半のマンモスは絶滅してゆきます。



日本列島では、この1万4500年前から縄文文化が始まりますが、ここで世界の人類史的にも大きな変化は、「定住革命」であります。   



日本列島は、1万4500年前の急激な温暖化のときに、世界に先駆けて温帯の落葉広葉樹の森が拡大します。   


日本海には対馬暖流が流れ込み、この蒸発する大量の水が、冬には日本海側に大雪をもたらし、落葉広葉樹の生育に適した海洋的風土が世界に先駆けて、いち早く形成されるようになりました。   


土器をつくるには柔らかい土、水、焼くための燃料となる樹木が必要で、森林土壌が必要となりますが、日本の東北地方で、そのような気候が形成され、また定住を始めたため、世界に先駆けて土器がつくられるようになったのです。


日本列島で、縄文人たちが土器を作り、森の中で定住革命をやり、家を作ったという事は、おそらく世界で最初に家族(制度)を成立させたと考えられており、日本の家社会の原点は縄文時代にあるわけです。   

定住し、優れた都市機能があった証拠に、寄生虫の分析をしたところ、ベンチュウの卵が一ケ所から集中的に発見されており、排泄物を一ケ所で集中管理するということは、都市持続の重要な要件で、人類がもっとも苦労しきたのは、上下水道の分離であります。



死者の埋葬は他の動物には見られない人間だけの習慣ですが、世界最古級の古墳は、約2万年前の大阪府藤井寺市のはさみ山古墳。  

世界最古の貝塚も昭和25年に、日本の三浦半島で発見された1万年近く前(縄文時代早期前半)のもので、自然への感謝の気持ちを込めて貝を埋葬したものであり、日本の文明の古さや日本人の精神文化の高さは、まさに世界に先駆けた定住生活がもたらしたものであるといっても過言ではありません。




世界では、都市文明が誕生した5700年前に気候が寒冷・乾燥化しましたが、その後、今から、4000年前、すなわち紀元前2000年前頃にも環境の大きな変化がありました。


それが、長江やインダスの古代文明を消滅させる人々が拡大した時代と重なり、西ではインド・ヨーロッパ語族が、東では畑作・牧畜民の漢民族が爆発的に拡大しました。


その結果、長江流域の文明を漢民族が破壊し、インダス文明はインド・ヨーロッパ語族であるアーリア人の侵入により、崩壊しますが、紀元前2000年頃の民族大移動が、気候の変動によるものである事は間違いありません。

紀元前2000年の民族大移動の後に起こるのが、紀元前1200年から紀元前800年の民族大移動で、インド・ヨーロッパ語族のドーリア人が古ヨーロッパ文明につながる、ミケーネ・ミノア文明を蹂躙・破壊、東では遊牧民のスキタイの大移動があり、さらに漢民族が東南アジアからポリネシアに進出しています。


中国の歴史書には、紀元前11世紀の周2代目・成王の時に、「倭人が暢草(ちょうそう)を貢した」とあり、外交記事の「貢」は、国レベルの交渉があった時のみ使われる言葉なので、紀元前11世紀以前に、すでに日本には国家があった事を示しています。


孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者ですが、漢書・倭人の条によれば 「孔子は道が行われないことを悼み、渡海して東夷の九夷(=日本の事)に住むことを欲した」、これに続き、「孔子がそう欲したのももっともなことだ、何故なら楽浪海中に礼節を知る倭人がいるからだ」 と述べて、倭人の紹介に入ります。

孔子は周代初期の体制を理想としており、その孔子が倭人を評価していたことは、周代中期において、日本列島に周初期の体制をもち、礼節をわきまえる国(=日本)の存在があった事をしめしています。


「人すこぶる活静にして、争訟少なし。性質直にして雅風あり」
                                              隋書倭国伝



春秋戦国時代の頃、大陸から稲作技術をもった人々がボートピープルになって、日本列島に渡ってきますが、これは気候の寒冷化(=食料不足)により、漢民族が北方から怒涛の如く南下し、長江流域にいた人が、雲南省と日本列島に逃げてきたものです。


ここで、日本に稲作がもたらされたのであって、朝鮮半島からではありません。 雲南省の少数民族の文化と日本の文化が似ているのは、もともとは長江流域で稲作をし、タンパク源を魚に求めていた人だからなのであります。



稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-202  江南からの製鉄技術
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/
邪馬台国と卑弥呼-197  安曇氏と呉 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1579.html
邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html
邪馬台国と卑弥呼-144  越の子供たち
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1520.html
邪馬台国と卑弥呼-82  呉音と漢音
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1384.html
邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1386.html
邪馬台国と卑弥呼-54  呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html
邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-36  犬頭人
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1283.html
邪馬台国と卑弥呼-85  銅鐸のルーツ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1387.html  



鳥居は、雲南省の少数民族にも多くみられますが、弥生時代の集落にも鳥形の木製品が立ててあり、大阪の池上遺跡にも見る事が出来ます。  長江文明は、太陽信仰(これは世界各地、日本の縄文にもあった)と鳥信仰であり、日本の弥生文化は長江文明のものと共通しています。   


また、日本の高床式建築、また神社建築にも見られる千木も中国の雲南省で、倭族のつくったものと同じです。  


邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html


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雲南省 倭族の高床式建築と千木

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出雲大社 千木に注目

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伊勢神宮 千木に注目



また、この倭族がつくった填王国には、女性シャーマンがいて、邪馬台国の卑弥呼のルーツ
はここにあるのではないかとも思われます。 填王国は南ルートのシルクロードの端に位置し、繁栄をしていましたが、1世紀頃の気候の寒冷化により、シルクロードは北からの匈奴、漢民族に分断され、また攻撃され、填王国は衰退してゆきます。



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填王国  種まきの儀式、田植えの儀式をとりしきる女性権力者の巫女(金色)



邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
知られざる文明、滇(てん)王国
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&feature=related


そして、3世紀に倭と呼ばれる国が日本にあると魏志倭人伝に記され、女性シャーマンの卑弥呼が現れます。 ただ、女性シャーマンは、元々はギリシアのデルフォイ神殿でのビュティアという巫女(シャーマン)による神託が、南のシルクロードを通り、中国江南、さらに日本に伝わったものでしょう。  


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デルフォイ神殿


神託とは、神のお告げであり、古代ギリシアでは、都市国家の為政者達が、何をするにも先ず神様にお伺いを立て、その予言にしたがって政治・経済活動や植民地建設を行っていました。

その神託の中でも、最も的中率が高く、信頼されていたのが、「アポロンの神託」で、それは紀元前7世紀に、パルナッソス山を背にしたデルフォイの地に造られたアポロン神殿において、ビュティアという巫女を通して下された神託です。

この神託ですが、実はどのような政策をとっても敵対する勢力との政治的闘争になってしまうため、全ての情報を入手・分析している神官(官僚・諜報部員)がすでに答えを持っており、

巫女にアヘンやマリファナ(大蛇ピュトンが噴き出す霊気)を吸わせ、恍惚状態にさせ、意味不明の言葉をわめき散らかさせ、それを神官たちがもっともらしい言葉にして、政策を決めていたのです。  

だから、デルフォイの神託はよく当たり、信頼されうるものであったという事です。



邪馬台国と卑弥呼-55  卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html
邪馬台国と卑弥呼-78  デルフォイの神託と卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html



面白い事に、倭族がつくった滇王国の石寨山遺跡からは、前漢の武帝から賜った金印は、志賀島で発見された「漢委奴国王」と彫られた後漢の光武帝から賜った金印と、同じ蛇がデザインされています。 

当時、漢王国から、金印が授けられるときは、その地方に特徴的な動物が、金印の上にデザインされています。 すなわち、中国の江南と日本は同じ「蛇」であったわけです。

日本でアマテラス信仰がはじまる前は、大和(奈良)の三輪山をご神体とする蛇信仰が行われていたのは知られているところですが、ここでも話はつながります。



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滇王国 金印 

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漢委奴国王 金印

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滇王国の青銅製品  蛇を御神体にする神社と考えられる。



すなわち、日本の弥生時代、邪馬台国、大和朝廷をつくったのは、気候の寒冷化に伴い、北からの漢民族(黄河文明の人)の南下により、押し出され、日本に船でやってきた、中国の江南からやってきた、稲作と漁労をなりわいとする海人族(長江文明の人)である事は間違いないでしょう。



邪馬台国と卑弥呼-197  安曇氏と呉 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1579.html
邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html
邪馬台国と卑弥呼-144  越の子供たち
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1520.html
邪馬台国と卑弥呼-82  呉音と漢音
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1384.html



稲作・味噌・醤油・納豆・餅・鵜飼などが、中国江南から日本に伝わった事は今日常識となっており、織物も揚子江河口の江南地方から伝わり、日本の蚕が今日でも江南系であることが知られています。

埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣は新日鉄研究所の調査結果、中国の鉄鉱石で、技術も江南で行われていた炒鋼法(しょうこうほう)であることが分かり、また呉の赤烏(せきう:238-251←邪馬台国の時期)の紀年銘をもつ画文帯神獣鏡が日本で出土しています。



稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-202  江南からの製鉄技術
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1589.html
邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1386.html
邪馬台国と卑弥呼-54  呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html




魏志倭人伝に記された倭人の特徴は、中国江南の風俗と同じであるとも記されており、いるので、話は一致します。  また記紀神話と中国江南の神話も良く似ています。




邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html


邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1278.html
邪馬台国と卑弥呼-34  苗族と鹿信仰
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1281.html
邪馬台国と卑弥呼-37  苗族の闘牛 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1284.html
邪馬台国と卑弥呼-29  苗族の芦笙祭  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1276.html
邪馬台国と卑弥呼-36  犬頭人 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1283.html




この事実からも、日本の弥生人のルーツは、長江文明の人々であり、今日では少数民族となった苗族と考えられます。 長江文明を引き継ぎ、今日、大きな国家をつくっているのは日本だけで、我々日本人は長江文明を築いた人々の末裔ということも出来ます。




苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related
Hmong Miao song
http://www.youtube.com/watch?v=FM74XdWTXMo&feature=related
The Miao Kingdom Special Collection
http://www.youtube.com/watch?v=nUUMm_5if54&feature=related




漢民族は今でも龍信仰が盛んですが、日本ではヤマタノオロチ伝説をみても龍を退治し、天照大御神の太陽信仰、また神武東征のときに八咫烏が活躍、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の白鳥伝説、また長江・雲南省にもある鵜飼文化もあることから、これはまさに、鳥vs蛇(龍)、長江vs黄河の記憶なわけで、日本は滅ぼされた長江の側に立っているようにも思えます。



邪馬台国と卑弥呼-75  龍とは何か 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1324.html



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雲南省・洱海(あるはい)での鵜飼い    
洱海は雲南省大理市の北西に位置する淡水湖
http://www.asia-photo.net/yunnan/gallery/erhai/index.html


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日本の鵜飼  
鵜飼は古いもので千三百年以上の歴史があるといわれ、国内の文献では「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」などにも記載されている伝統的な漁法



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日本武尊(日本書紀) 倭建命(古事記) [ヤマトタケルノミコト]
高貴な生まれ(第12代景行天皇の子)、冒険譚、恋物語、悲劇的な最期など、神話型「英雄」の条件を備えた、伝説の美男子。 彼の魂霊は美しい一羽の白鳥へと姿を変え、大空へ羽ばたいていきました。 





日本武尊の時世の句


大和は 国のまほろば たたなづく

             青垣 山籠れる 大和し 美わし


                              古事記  国偲び歌





八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html
八咫烏 と 烏帽子、ちょんまげ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1051.html




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神武東征と八咫烏

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八咫烏(やたからす)  熊野本宮大社
http://www.yatagarasujinja.net/
http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/hongu/




さらに、天孫降臨神話の舞台が、朝鮮半島に近い北九州ではなく、宮崎県や鹿児島県の南九州であることを考えてみても、弥生時代は南九州に流れ着いた、稲作の長江文明の影響を強く受けているのは明らかです。



この時、縄文人と弥生人は、争ったのではなく、手を取りあったと考えられ、九州に長江流域の人々がやってきて、天(あま)つ神系の人々となり、縄文時代以来の神話体系をもった専従の人々が、国(くに)つ神系の人々になったと考えれば、全てが説明できるように思います。



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高千穂峡  真名井の滝



日本人の遺伝子を調べてみると、父親から受け継ぐY遺伝子にYAP+という特殊な遺伝子を、約半数の日本人男性が持っている事が分かっており、YAP+は、アフリカ、地中海沿いの中東からイタリア南部、アルタイ、チベット、インド洋のアンダマン諸島、エスキモー、アメリカのネイティブインディアンに特徴的に見られるもので、何と近くの中国、韓国の人々にはほとんど全く見られない遺伝情報です。

アメリカのインディアンの先祖は、約1万年前にアメリカ大陸に渡った縄文人である事は前述した通りであります。

  

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スペンサー・ウェルズが描くY染色体系統の拡散

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Geographic map showing the Frequencies of the DYS199T(Blac),the DYS199C(open),and YAP+(grey)alleles in the 20 Asian and nine New world samples in the survey


このグラフは、アメリカの形質人類学誌(American Journal of Physical Anthropology)に、1977年に掲載された「Y染色体の印を持つ者とベーリング海峡からの分散(Y Chromosome Markers and Trans-Bering Strait Dispersals)」という論文にある図を紹介したものですが、半円の黒の部分がY染色体のDNA塩基配列で、YAP+という特殊な塩基を持っている人の割合を示しています。

"Y Chromosome Markers and Trans-Bering Strait Dispers"
http://www.familytreedna.com/pdf/Karafet_et_al.1997.pdf


Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法(YCC2002)によるAからRまでの18種の大分類のうち、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDグループとEグループのみであり、DグループとEグループはおよそ5万年前に分化した近縁グループであります。

そのうち、Dグループが相当な頻度で存在するのは、日本とチベット、インド洋のアンダマン諸島のみで(日本で30〜40%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットでは約30〜50%)

他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてのみであります。  

すなわち、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を持つ者が相当頻度で存在する地域は、アフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてと、チベットと日本のみであり、日本人のY染色体の30〜40%については、DNA塩基配列が近縁関係にあるものは周辺国等にほとんどなく、チベットやアフリカや中東のY染色体と近縁関係にある事が分かっています。


このように、YAP+の分布は、中国・韓国・モンゴルなどではほとんど見られず、アジアでは日本とチベットに特徴的なもので、日本の中でもアイヌと沖縄に多い事からも、日本先住民(縄文人)の特徴であるといえましょう。


DNAからは、科学的に様々な事が分かり、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法が発見されてから、ヒトのゲノム(30億塩基対)のような非常に長大なDNA分子の中から、自分の望んだ特定のDNA断片(数百から数千塩基対)だけを選択的に増幅させることができ、しかも極めて微量なDNA溶液で目的を達成できるので、男系子孫にのみ伝わっていくY染色体の情報から、人種のルーツの祖先を正確に辿れるようになりました。

同じく、祖先を調べるのに、ミトコンドリアで調べる手法もあります。 これは、子供(男子も女子も)は母親からのミトコンドリアDNAのみを受け継ぐもので、母親の祖先を調べるには有効な方法です。 ちなみに、日本人の母親のルーツは、16人の母親で、トルコ、バイカル湖西部周辺、チベット、中国、台湾、東南アジアなどがいるようです。  


一方で、Y染色体は父親から息子のみ(男系)でしか遺伝してゆかないので、日本人の父親のルーツを辿る事が出来ます。 しかしながら、前述の如く、Y染色体のYAP+では、中国や韓国など近くの周辺諸国にはいないというのは、どう理解すれば良いのでしょうか。


日本の地理的条件が、ユーラシア大陸の東の端に位置し、現在のロシア、モンゴル、中国、韓国、東南アジアから容易に移動してくる事が出来、また東端の島国である事から、日本列島には様々な人種や文明・文化・習慣が素通りすることなく終着点となり、

大陸のように大きな戦乱や、敗北した側の民族が絶滅に追いやられる事もなく、温暖で海の幸、山の幸に恵まれ、島国であったため他国からの脅威も無かったことも幸いしたと考えられます。


そういう意味では、日本は民族だけではなく、世界の文明・文化の坩堝であるという、世界的にも珍しい国であるといえます。


イスラエルのアミシャーブ(失われたイスラエル十支族を探索し帰還を促す機関)が日本に注目しているのは、このYAP+の遺伝子を持つ男性が分布しているところは、シルクロードに位置し、既に失われた十支族の末裔がDNAや文化・習慣ともに一致し、見つかっているからだとしています。

アミシャーブによれば、アフガニスタン、パキスタン、カシミール、中国、ミャンマーなど各地に、10部族の末裔が現在も住んでいることが明らかになったと報告しており、特にビルマのシンルン族はマナセ族の末裔で、既に一部はイスラエルに帰還しているといいます。  

また、チベットも羌岷(チャンミン)族は、一神教を信仰し、部分的に戒律に従い、ユダヤ起源の伝承も多く、第一神殿の時代の犠牲を捧げる習慣があり、チベット系民族の羌(タングート、蔵人)は、384年に後秦を建国し、その末裔が朝鮮半島から「秦氏」として日本にやって来たともされています。  さらにチベット近辺には、シンルン族(メナシュ(=マナセ)族)、カレン族、チャンミン族という10部族、特に、マナセ族の宗教・伝統を今もなお継承している民族が存在していることが明らかにされています。


しかしながら、彼らが日本に渡ってくる際には、必ず中国や朝鮮半島を渡ってきた筈ですが、何故にY染色体のYAP+の痕跡がなくなってしまっているのでしょうか?  

Y染色体は父から息子への男系でのみ遺伝子してゆくので、YAP+のグループは争いに敗れ、一族の男子は殺され、日本に逃れてきたのと、繁殖力がYAP+は弱いという事が考えられます。

今でも中国によるチベットやウィグル民族の浄化(チベットやウィグルの男子を片っ端から殺し、漢民族の男性を送り込み強制結婚させる)が行われています。  大陸では、四方を敵に囲まれているので、相手を威嚇するためにも、とことん残忍な手段を用い、負けた側の民族絶滅を図り、男子が徹底的に殺されたら、敗北した側の民族のY染色体は無くなります。 裏を返していえば、それだけ徹底した虐殺が行われてきた地域である事を証明しているのかも知れません。

日本に、Y染色体のYAP+を持った男性が多いのは、YAP+を持っている人たちが支配者階級であった事を意味していると考えられ、日本の伝統文化、神道や天皇家の伝承などを見るかぎりにおいては、天皇家はきわめてエフライムとしてのイスラエル性が高く、今後の調査に期待したいと思います。



天皇家と失われたイスラエル十支族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html



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失われたイスラエル十支族




日本と古代イスラエルとの関係は、今日では研究が進み、様々な事が分かってきています。京都の祇園祭が、古代イスラエルの祭りであった事は、見識や知見のない人たちがいくらデマカセだと思い込みで発言しても、祇園祭山鉾連合会の会長がTVで、認めています。



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祇園祭



日本とユダヤ1/3
http://www.youtube.com/watch?v=00BP86cks4w&feature=related
日本とユダヤ2/3 
→ 祇園祭山鉾連合会会長がユダヤの祭りがルーツである事を認めている
http://www.youtube.com/watch?v=4uVVrePl9e8&feature=related
日本とユダヤ3/3
http://www.youtube.com/watch?v=xoowLHXVTvI&feature=related



祇園祭 山鉾巡行 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/928.html
祇園祭(シオン)と過越祭(ペサハ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1471.html



天皇家の紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/242.html
天皇家 もう一つの紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/244.html
天皇家 と エフライム族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/262.html
神社 と ダビデの星
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/263.html
秦氏 と 日本の中のユダヤ文化
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/267.html
山伏の兜巾 と ヒラクティリー  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/268.html
神輿 と 聖櫃(Ark)-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/273.html
神輿 と 聖櫃(Ark)-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/274.html
神輿 と 聖櫃(Ark)-3
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/275.html

日本語 と ヘブライ語
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/276.html
日本 と ユダヤ の良く似た風習
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/277.html



古代日本と朝鮮との関係においては、朝鮮半島では鉄が産出されることから、倭人が鉄を求めて朝鮮半島の新羅と百済を侵略して支配していました。 

これは、任那府の存在、また広開土王碑(こうかいどおうひ)は、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)の業績を称えるために息子の長寿王によって414年旧暦9月29日(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉)に建てられた石碑で、広開土王碑は現在吉林省集安市の好太王陵の近くに位置していますが、この碑に、新羅と百済は、倭国の属国となった経緯が記されている事からも明らかであります。  



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広開土王陵碑




「 もともとは、新羅と百済は高句麗の属民で朝貢していたが、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民としてしまった。 」



日本の属国であった新羅と百済
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1044.html
邪馬台国と卑弥呼-194  白村江の戦い
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1576.html



しかしながら、新羅から秦氏(中央アジア出身の初期キリスト教徒ユダヤ人)を主とする渡来人から、金属の精錬法をはじめ、多くのことを日本が学んだのも事実であります。  特に、平安京は、その支配者は桓武天皇でありますが、その資金・科学技術はすべて秦氏から提供されたものです。


その秦氏が大勢で日本にやってきたのが、応神天皇の時代で、大型土木工事が始まり、応神天皇の頃から墳墓は大型化し、次の天皇である仁徳天皇稜は世界最大の墳墓で、486mx300mxの35m大きさであります。  ちなみに、ギザのピラミッドは229mx229mx147m、秦の始皇帝陵は245mx340mx53m。



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       http://inoues.net/tenno/nintokutenno.html



仁徳天皇稜、エジプトのギザのピラミッド、秦の始皇帝陵の大きさを視覚的に比較するとこのような感じになります。



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仁徳天皇稜 vs エジプトのギザのピラミッド vs 秦の始皇帝陵 の大きさ比較

[埴輪の数:仁徳天皇稜20,000基、秦の始皇帝陵8,700基(戦車100、陶馬600、武士俑8,000)]





すなわち、日本文明は、世界に先駆けた定住革命により、世界最古の土器(=豊かな食文化)、漆製品、また他の動物にはみられない埋葬という世界最古級の古墳を持つ、高い精神性をもったものから始まり、長江文明から稲作・魚食文化を学び、朝鮮半島から金属製品の製法、秦氏から養蚕・絹織物、酒造、金属精錬、大型土木工事、他古代ユダヤ文明を学び、6世紀には漢字・仏教の中国文明(漢民族)を学び、中世にはヨーロッパの文明、明治維新ではフリーメーソン思想(=啓蒙思想)によってもたらされたヨーロッパの科学技術文明、第二次世界大戦後はアメリカ文明を学び取り入れた、幾層にも折り重なる、重厚な文明であるといえます。



フリーメーソンとは何か  まとめ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html



このように、他の文明を、何の障害もなく受け入れる事ができ、発展を続ける日本の強みは、
聖徳太子の「神仏儒習合思想」にあり、他の宗教まで、簡単に受け入れるのですから、他の文明を受け入れる事など簡単なものであり、世界の優れた文明を素直に学ぶところが、日本が発展する秘密なのです。   古代から、右肩上がりで発展し続けている国は、世界の中でも日本くらいのものではないでしょうか。



聖徳太子 「神仏儒習合思想」
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/114.html



文学の面でも、世界最古の恋愛長編小説は、平安中期、紫式部により書き綴られた平安貴族の華麗な恋愛叙情詩「源氏物語」であり、この作品は今もなお、世界中のファンに共感を持って読み続かれています。


また、古代万葉の時代にも、額田王(ぬかだのおおきみ)のように、品のあるおおらかで繊細な女性歌人が活躍しているのも、世界ではあまり例がありません。   世界での古代の恋愛物語は、男性の歴史学者が、歴史書の一部として書かれたものです。



紫式部
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/529.html
額田王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/528.html



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源氏物語 寄生木



源氏物語
http://www.genjimonogatari.net/index.html
源氏物語(与謝野晶子訳)
http://www.genji.co.jp/yosano/yosano.html







世界の四大古代文明よりも古い歴史を持ち、現存する王室の中で世界最古の歴史を持つ天皇家をいだき、高い精神性を有し、聖徳太子の「神仏儒習合思想」以来、宗教で対立することなく、他の文明の良いところを素直に学ぶことのできる懐の深さを持つ日本文明は、21世紀の世界の人類のモデルにもなりうる、素晴らしいものであると思います。









日本の国体 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1052.html
精神文明 日本
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祭祀支族
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八咫烏(やたからす)
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稲作と桜
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富士山と桜
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日ユ同祖論とDNA
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日ユ同祖論とDNA Part2
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かな文字 と ヘブライ文字 
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天皇家と失われたイスラエル十支族
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天皇家の紋章
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天皇家 もう一つの紋章
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秦氏
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秦氏・日本とユダヤ文化
http://wave.ap.teacup.com/applet/renaissancejapan/msgcate45/archive?rev=1

邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html
邪馬台国と卑弥呼-161  カガミと蛇の目
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伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html
邪馬台国と卑弥呼-160  神武天皇とタカミムスヒ  
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邪馬台国と卑弥呼-163  苗族 と タカミムスヒ    
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邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱
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邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
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邪馬台国と卑弥呼-203  日本神話と淮南子、三五暦記 
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邪馬台国と卑弥呼-202  江南からの製鉄技術 
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邪馬台国と卑弥呼-195  宗像一族と出雲一族
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邪馬台国と卑弥呼-197  安曇氏と呉
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1579.html
邪馬台国と卑弥呼-198  漢氏と秦氏
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1580.html
邪馬台国と卑弥呼-199  葛城氏
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邪馬台国と卑弥呼-200  蘇我氏
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邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
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邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
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邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1578.html


日本の最先端科学技術
http://wave.ap.teacup.com/applet/renaissancejapan/msgcate6/archive?rev=1
Kyudo In London: The White Rose Kyudojo
http://www.youtube.com/watch?v=xA-NXsABz2I&feature=PlayList&p=375CF15DEE19278C&index=9




30

2011/7/12  22:42

投稿者:Sham Ray
素晴らしいです。しかし、エジプト文明の起こりは三万年前、チグリス、ユーフラテスより大分前であるとされ、定住生活や鉄の製造も行なっているらしいですから、これを論破し、日本文明の凄さを強調するのは難しそうですよ。与那国島の遺跡から何か見つかれば別ですが。

あと、アイスランド、マヤ文明の人々はネイティブアメリカンと同じ言語や文化を共有しているらしいので、調べてみると何かわかるかもしれません。アイスランドは北アメリカ大陸と陸続きだった可能性もありますからね。

また、イスラエルからはるばるわたってきた日本人の祖先はもともとイスラエル人とエジプト人との混血かもしれません。これはサマリア人などを調べてみるとわかりそうです。いわゆるエルサレムの地に残ったユダ南王国のユダヤ人ではなさそうです。

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