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2006/2/12

聖徳太子 「神仏儒習合」思想  宗教・思想・哲学・文学・芸術


----- 日本が発展する理由 と 日本は21世紀の世界のモデル ------ 


複数の宗教を同時に信仰するという、世界の中でも珍しい日本人の宗教観ですが、この事が宗教の厳格な戒律にとらわれることなく、フレキシブルに外来の文明や文化を取り入れることを可能にし、日本という国は、時代を経るほどに、発展を加速化しているように思います。 

今日では、世界でもトップクラスの高度な科学技術文明を有し、経済力も世界のトップクラスに位置しています。

それでは、どうしてこのような宗教観を持つ事ができるようになったのか、それは聖徳太子の「神仏儒習合」思想からであると考えられます。



-------------------------  神道  ----------------------------


日本の神道は、ごく素朴な自然発生的な信仰であります。 特徴としては、ユダヤ教の旧約聖書やタルムード、キリスト教の旧・新約聖書、イスラム教のコーラン、仏教の般若心経のような経典を持ちません。

すなわち、神道には明確な教義や教典がない為に、他の宗教のように戒律により人を縛るという事がありません。 

神道における八百万の神の概念は、森羅万象に神が宿ると考え、雷や台風などの自然現象、山、滝、大石などの自然物が対象であり、それに先祖崇拝の思想が重なって出来ています。 

これは、別に日本特有のものでなく、世界中で見られる宗教の原始形態といっても良いでしょう。

その原始的形態が、今日まで聖典も戒律もなく続いてきた事も奇跡的な事でありますが、神道においては宗教としての絶対的価値観である「神の言葉と掟」を持たないが故に、他の価値観と共存する可能性を秘め、神道に永遠の命を与えたという事もできます。



----------------------  仏教伝来  ----------------------------


仏教が最初に日本に入って来たのは、「古事記」によると、欽明天皇(在位540−571)の時代で、欽明天皇は百済から贈られた仏像を蘇我稲目に授け、蘇我氏で祀るように仰せられました。  

ここから、蘇我氏の仏教独占がはじまり、後に政治利用する事で、強大な権力を得るようになっていきます。

用明天皇(在位585−587)は、国家元首としてではなく、個人的に仏教に参拝しましたが、蘇我氏をはじめとする崇仏派は、天皇の公式参拝を求め、仏教を国教に指定するよう迫りました。 



------------------ 日本で初めての宗教戦争 --------------------


ここで、日本で初めて宗教が大きな政治問題に発展します。 もし、天皇が仏教を国教として認めたなら、神道を捨てなければならないからです。 

用明天皇は、この問題を残したまま亡くなり、崇仏派の蘇我馬子と神道派の物部守屋の間で、日本史における唯一の宗教戦争が起こり事になります。

結果は、蘇我氏の勝利に終わり、崇仏派と見られた祟峻天皇(在位587−592)が蘇我氏によって擁立されましたが、祟峻天皇はその仏教の政治利用と、神道否定の危険性に気がつき、神道を保護しようとした為、蘇我馬子に殺害されてしまいました。 

仏教は権力闘争に利用され、人々の殺戮が繰り返されたわけですが、何のための宗教でしょうか?


---聖徳太子 神仏儒習合思想:世界の文明を偏見なく受け入れる日本---


崇峻天皇が亡くなった後、推古天皇(在位592−628)の時代となりますが、東アジアでは初めての女帝です。   

この時、天皇家に聖徳太子という大天才が現れます。

太子は、叔母である推古天皇の摂政として、政治的発言を確保すると共に、仏教と神道を両立させる道を考え出しました。 それが、「神仏儒習合」思想です。

「神々は敬わなければならないが、敬ってもなお祟るのが日本の神々である。 その祟りを鎮めるものが仏である。 よって、我々は仏も敬わなければならない。」

という考え方で、

「神道を幹とし、仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて、現実的な繁栄を達成する。」

とし、他の宗教を否定する事無く、融合させる思想を考え出しました。

これが、今日の日本人が、正月は神社に初詣に行き、結婚式は神道で挙げ、葬式は仏教で行い、仏壇の中には先祖の位牌があり、祖先崇拝をしているという、日本人の宗教生活を形づくっているものです。 

一見デタラメのようで、実はちゃんとした聖徳太子の思想に裏打ちされたものなのです。

この思想は、一神教の仏教と、多神教の神道を、それぞれ別の宗教体系のままで、同時信仰することを許容し、推奨したもので、宗教理論的には、世界に類のないものです。

こうして、聖徳太子の「神仏儒習合」思想が普及した結果、日本には深刻な宗教対立がなくなり、同時に厳格な宗教理論や信仰心もなくなっていったと考えられます。 

これが、後の日本人に与えた精神的影響は大きいものがあり、日本人は宗教的戒律にとらわれる事無く、外来の優れた文明や文化を簡単に受け入れる事ができるようになり、一つの神の言葉や掟を、真に受けて信じる事はせず、全ての文明や文化の優れた部分のみを、取り入れる習慣を身につける事ができるようにました。



--------------- 天皇制と聖徳太子の思想に感謝 ! -----------------


宗教の違いとは、本質的な倫理の違いであり、何が正しいかという意味での対立であり、信仰とは客観的事実や利害損得ではなく、神の教える聖典と戒律によって定められたものであります。 

よく「信じる事に言葉は要らない」と言われますが、その通りでありまして、信仰する事に対して、別に理論的説明をする必要はありません。 

しかしながら、宗教信仰の慣習を持つ人々は、神の言葉の下に、思考停止となり、全ての事柄に対しても、絶対的な価値や正義を持ちたがる傾向があります。 

また、それがなければ不安になり、自分自身の言動の基準を失ってしまうからであります。 

そういう意味で、私は古い宗教の戒律にとらわれる事無く、「宗教からの自由」を得た日本人は、他の文明や文化の優れたところを、フレキシブルに吸収していく事ができる事によって、日本という国家は時代を経るに従って、発展が加速化されているのだと思います。

また、いうまでもなく、天皇制を持つ事による国内の安定化も、国家の発展に大きく影響しているのは言うまでもありません。

我々日本人は、飛鳥時代の偉大なる思想家、聖徳太子に感謝しなければならないと思います。



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25

2015/8/13  21:06

投稿者:Author
中村さん

参考になるかどうか分かりませんが、私が過去に読んだ
本を紹介します。


1、「日本とは何か」 講談社  堺屋太一
2、「知っているようで知らない 日本人の謎2
0」 PHP研究所 大森亮尚
3、「常識として知っておきたい 日本の三大宗
   教」 河出書房新社 著者:歴史の謎を探る会
4、「八幡神と神仏習合」 講談社 逵日出典
5、「聖徳太子の仏法」 講談社 佐藤正英

Renaissancejapan

2015/8/13  17:53

投稿者:Author
中村ニナさん、質問の意味がよくわからなかったの
ですが、神仏儒習合思想は聖徳太子が打ち立てた思
想である事は明確なので、そのこと自体が確証では
ないですか?  答えになってなければスミマセ
ン。 また遠慮なくコメントしてください。

参考
神仏儒習合思想
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/79
6.html

2015/7/22  16:31

投稿者:中村ニナ
京都で歴史文化信仰を研究発表しています。
聖徳太子が、わが国の神仏儒習合の原点だと同感します。神社建立や「敬神の詔」以下に、その確証があればご教授いただけませんでしょうか? お願いします。
当方の日本文化論が大詰めです。

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