renaissancejapn@aol.com

2006/2/23

日本とオスマン帝国-2  国際政治・金融・企業

オスマン帝国は、軍事力を増強する為に、ヨーロッパ列強から武器を購入しましたが、外債による資金調達を繰り返しており、

関税までを担保にする外債への安易な依存は、のちのオスマン帝国の財政破綻をもたらし、西欧列強への経済的従属を余儀なくされる結果となってしまいました。 


また、国力を軍事にのみに求め、科学技術による産業を育てなかった為、西欧諸国に近づき、貿易が拡大するにつけ、オスマン側は原材料輸出に特化してゆき、農業のモノカルチャー化が進み、オスマン帝国は植民地化してゆきました。 

そして、ヨーロッパ経済と農作物の収穫量の影響を大きく受けるようになり、農作物の不作もあいまり、1875年に破産してしまいました。


また、帝国内のエジプト、ギリシア、アラブなどの国々が内乱を起こしはじめますが、なすすべくもなく独立を許してゆき、オスマン帝国は「瀕死の病人」とまで揶揄されるようになってゆきました。 これは、暴力による支配の限界をここに見ることができるのであり、イスラムそのものが魅力ある高い文明によって、帝国内の諸国を支配していたのではなかったという証明であります。 

一方で、日本の場合ですが、徳川軍対維新軍で国内は割れていた物の、欧米列強の植民地にならないよう、天皇を中心として、国内はひとつにまとまる事ができました。

そうして、西洋近代化を進めていきましたが、オスマン帝国との最も大きな違いは、軍事のみならず科学技術に力を入れ、富国のための殖産興行政策にも力をそそぎ、金融や経済力をも発展させていった事でしょう。  

ここが、大きな分かれ目だったと思いますが、やはり彼らの場合は、宗教のイスラム教が、彼らの西洋近代化政策を妨げており、今日も近代化の道を歩めていないのだと思います。

 
2


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ