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2010/11/22

邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇  邪馬台国と卑弥呼

天皇家は、初代の神武天皇に始まり、第125代の今上(きんじょう)天皇にまで続いていますが、名前に神の文字を持つ天皇はわずかしかおられません。



初代  神武天皇   紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代  祟神天皇   紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代 (仲哀天皇)  192年1月11日−200年2月6日(在位) 
     神功皇后   170年−269年6月3日(生誕から崩御)
              201年−269年6月3日(在位)   
15代  応神天皇   270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代  仁徳天皇   313年1月3日−399年1月16日(在位)


*神功皇后は、仲哀天皇の奥さんです。





邪馬台国は、1世紀から3世紀にかけて倭国にあった国ですが、神の名がつく天皇はその時期に集中しています。  卑弥呼(175年頃-248年頃)と神功皇后(170年-269年)と時代が一致し、どちらも女帝であった事を考えると、卑弥呼や台与と神功皇后が同じ人物であったと考えるのが自然であると思います。



さらに、世界最大の規模を誇る仁徳天皇稜ですが、日本を建国した初代天皇の墓(古墳)より大きな墓(古墳)を後の天皇がつくるとも考えられないので、私は日本を建国した最初の天皇は仁徳天皇であると考えています。  応神天皇は字の如く、まだ神話の世界で、仁徳天皇は最初に地上を治めた天皇で、私は、この二人は同一人物と見ています。



日本書紀を読むときに、天皇のダブリや、時空間の意図的なズレをも洞察して読まなければ、何がなんだか分からなくなってきますが、これについては別途、浦島太郎=武内宿禰(たけうちのすくね)=住吉大神=蘇我馬子という投稿を行いますので、そのときに詳しく説明します。



邪馬台国を治めていた女帝(神功皇后)の息子である応神天皇(神話の世界)=仁徳天皇(地上界の天皇)が初めて日本(ヤマト)を建国し、世界最大の墳墓を築いたというのは、素直なストーリーだと思います。



仁徳天皇稜、エジプトのギザのピラミッド、秦の始皇帝陵の大きさを視覚的に比較するとこのような感じになります。


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仁徳天皇稜 vs エジプトのギザのピラミッド vs 秦の始皇帝陵 の大きさ比較

[埴輪の数:仁徳天皇稜20,000基、秦の始皇帝陵8,700基(戦車100、陶馬600、武士俑8,000)]



京都の東映映画村の横にある、秦河勝(聖徳太子のブレーン)が建てた広隆寺にいくと分かりますが、秦氏は応神天皇の時代に大挙してやってきたと書いてあります。 



広隆寺
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/474.html
宇佐八幡宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1038.html
伏見稲荷大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1035.html
諏訪大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1036.html
籠神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1039.html
伊勢神宮 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1040.html




「宋書倭国伝」「三国史記」「広開土王碑」「日本書紀」など、中国・朝鮮・日本の歴史書にも倭国が新羅と百済を征服し属国化したと記述がある事実からも、日本書紀にあるように神功皇后が新羅を征服したときに、秦氏を連れてきて、応神天皇の時代に秦氏が大挙してやってきたと考えるべきだと思います。



稲作伝来  +  新羅・百済は日本の属国であった
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html



秦氏は、原始キリスト教(ネトリウス派=景教)を信仰する中央アジアの民であったので、ギリシア神話、アレクサンダー大王伝説、ユダヤ、キリリスト教の話を日本に持ち込み(聖徳太子が馬小屋で生まれた伝説もキリスト今日の影響と思われます)、それが日本神話と重ねられていった。



日本神話とギリシア神話
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1250.html



そして、神武東征はアレクサンダー大王東征の話を参考にし、応神天皇を神武天皇に重ねて、応神天皇の東征の話も日本書紀に盛り込んだ。 日本書紀が何を言いたかったのかといえば、応神天皇=仁徳天皇が本当の日本(ヤマト)を建国した最初の天皇であるという事。



八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html
下鴨神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1047.html
八咫烏 と 烏帽子、ちょんまげ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1051.html



また秦氏は、天皇家が古代イスラエルの正統王家であると権威付けるために、失われた十支族の末裔であるかの如く、全く同じ家系図を創った。



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もしくは、天皇家の紋章や伝説、さらに日本とユダヤ文化のあまりの類似性を考えると、本当に天皇家は失われた十支族であった可能性もあります。


イスラエルの大使や政府機関アミシャーブもその可能性がある事を言明しています。


Ten Lost Tribes of Israel in Japan? Biblical Japanese Festivals?
http://www.youtube.com/watch?v=ulwxNUVFWrs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xEF8YO73PVA&feature=related



古代イスラエルにおいて、ソロモン王が亡くなった後、国は北イスラエル(十支族)と南イスラエル(二支族)に分裂、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたのがBC722年の事で、十支族は東方に逃れ、以後行方不明(失われたイスラエル10支族)になります。

それから、約60年後に、神武天皇が即位しますので、天皇家が失われた十支族である可能性はあるわけです。  




天皇家の紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/242.html
天皇家 もう一つの紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/244.html
日本語 と ヘブライ語
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/276.html
日本 と ユダヤ の良く似た風習 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/277.html



秦氏・日本とユダヤ文化
http://wave.ap.teacup.com/applet/renaissancejapan/msgcate45/archive?rev=1



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