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2010/12/4

邪馬台国と卑弥呼-16  出雲の国譲り  邪馬台国と卑弥呼
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出雲大社


日本書紀には、大国主命(オオクニヌシノミコト)は、平和裏に天照大御神に国を譲った事になっていますが、現実はそんなに甘いものではなかったでしょう。



古事記では、大国主命が出雲を造り、それを天照が乗っ取りを企み、再三、神を送り脅しますが、ことごとく失敗します。  そして、最期の切り札は、武闘派の建御雷神(タケミカヅチ)。

出雲に上陸した建御雷神は大国主命に国譲りを強要します。 大国主命はすでに隠居しており、子供の八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)に訊ねて欲しいと訴えますが、建御雷神にびびった八重事代主神はあっさりと降伏。  

そこに、もう一人の子供である建御名方神(タケミナカタノカミ)がやってきますが、血の気の多い建御名方神は、やってうやろうじゃないかと戦いを挑みますが、力に勝る侵略者の建御雷神が圧勝します。  そして、建御名方神は長野県の諏訪まで逃げますが、執拗に追いかける建御雷神。

そして、最期に諏訪をでないことを条件に、建御名方神は許されます。


この話が本当である証拠に、諏訪神社の祭神は、出雲を追われた建御名方神(タケミナカタノカミ)とその妻の八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)であります。  御柱祭りで有名な諏訪神社は出雲と関係が深いことは、皆さんご承知のとおりです。


ここに、大国主命は殺害され、出雲大社に祀られ(祟り封じ)、おそらく建御名方神も殺害され、諏訪神社に祀られたと思われます。  


そして、大国主命のもう一人の息子である八重事代主神は、葛城王朝において重要な地位を占め、現在でも宮中の御巫八神の一つになっています。  葛城には、事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のような全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の名前の由来となっています。



大国主命の国津神は、天照大御神の天津神(天孫族)に出雲国を譲りましたが、私はアマは天のみならず、海(アマ)を意味し、邪馬台国や大和朝廷は海人族でないかと思います。

中国北部や朝鮮半島の騎馬民族系であれば、主食は牛や馬の肉であろうと思いますが、天皇の儀式、また今日まで続く日本人の食生活は、稲作による米を主食とし、たんぱく源を魚に求めているのではないでしょうか。





諏訪大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1036.html
下鴨神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1047.html



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タグ: 日本 天皇 神道


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