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2010/12/18

邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青  邪馬台国と卑弥呼
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刺青をしたニュージーランドのマオリ人  


魏志倭人伝によると、倭人は「皆面黥面文身」というように男子はみな顔や体に入れ墨し、墨や朱や丹を塗っており、古くから、中国に来た倭の使者はみんな自らを太伯の子孫と称していると記されています。

黥面とは顔に刺青を施すことであり、文身とは身体に刺青を施すことであり、南方の海洋民族によくみられる特徴のようであります。

漁師なら分かりますが、何故に魏への使者が刺青者?と思われると思いますが、倭人の祖が苗族と考えれば話があいます。  

中国の伝説によれば、BC26世紀頃に漢民族の原型である華夏民族の君主・黄帝が蚩尤(しゅう)を破り、敗れた蚩尤民族は苗(みゃお)族と黎(リー)族に分裂。  周王朝時代に華夏民族と同化し、一部は春秋の強国である楚や呉を建国します。



苗族の、頭飾りのデザインと、蚩尤の漢字が良く似ているようにも、私は思います。

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太伯(たいはく)は、中国周王朝の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物です。 

古公亶父には長子・太伯、次子・虞仲、末子・季歴がいましたが、末子の季歴の息子の昌が文武に優れており、古公亶父は我が家を興すのは昌だと言っていた為、

これを推し量って、太伯と虞仲は季歴に後を継がせるために荊蛮の地へと自ら出向きました。 周の者が二人を迎えに来たたものの、二人は髪を切り、全身に刺青をして中華へと帰るに相応しくない人物としてこれを断ります。

太伯は句呉(こうご)と号して国を興し、荊蛮の人々は多くこれに従い、この国は呉とされています。


このように、呉の初代王である太伯は髪を短く切り、全身に刺青をしていたため、太伯の末裔と自ら称する倭人の身分の高い者も刺青をしていた可能性があります。  


実際、魏志倭人伝には「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」と刺青の位置や大小によって社会的身分の差を表示していた事や、当時の倭人諸国の間で各々異なったデザインの刺青が用いられていた事が述べられており、

魏志倭人伝では、これら倭人の刺青に対して、中国大陸の揚子江沿岸地域にあった呉越地方の住民習俗がよく似ているとしています。



苗族は、中国の少数民族で、貴州省はじめ、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省に住んでいます。  そのルーツは、稲作発祥の地である長江中流域とされ、米食を主食とし、塩や酢で味付けした魚などの副食とともに1日3食とります。 また日本の納豆菌と遺伝的に同種の納豆、赤飯、餅、なれ鮨、味噌、醤油があり、さらに高床式倉庫、鳥居、鵜飼など極めて日本の風習に近いものがあり、我々日本文化のルーツではないかとされています。

BC2000年頃、寒冷期を迎え、黄河文明(=漢民族=龍信仰)が南下し、長江文明(=太陽・鳥信仰)は破壊され、一部の人々がボートピ−プルとなって日本に流れ着き、次にBC800年頃にまた寒冷期を迎え、黄河文明の漢民族は東南アジアからポリネシアにまで進出し、三苗(苗族=太陽族・鳥族・蛇族)が長江流域を追われて西南部の山岳地帯へ逃れ、また一部の人々は、海を渡って日本に流れ着き(天孫降臨)、蛇(=三輪山)・鳥(=鳥居・天鳥船・八咫烏・白鳥:日本武尊)・太陽信仰(天照大御神=卑弥呼)をもたらしたと考えられます。

また、苗族は精霊信仰(アニミズム)で、女性中心の母権制社会で、女性のシャーマンもいたことからも、日本の邪馬台国に近いものがあり、魏志倭人伝にも江南人と倭人との習俗の共通性が記述されていることからも、



天孫降臨とは、彼ら(天津族=海津族=海人族)が、海流に乗って南九州にたどり着き、稲作(陸稲・水稲)の技術を日本に伝え、稲作により豊かになり、国力が増したのが邪馬台国で、卑弥呼が神功皇后で、朝鮮を支配下に置き、神功皇后の息子が応神天皇(=神話では応神天皇、地上界では仁徳天皇で同一人物)=仁徳天皇で、仁徳天皇が大和政権をつくったと考えるべきではないでしょうか。


何より、由緒ある官幣大社である鹿児島神宮には、太伯が祭神として祀られている事と、魏志倭人伝での、倭人と太伯の記述の事実は決定的であります。
社格 : 官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社


さらに、BC800年頃に大挙して日本にやってきた時期は、神武天皇の即位がBC660年の話のつじつまが合い、さらに新羅を征服し、応神天皇の時代に新羅から秦氏が大挙してやってきて、大型土木工事である古墳の巨大化がはじまるのも話があっています。




稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-24  稲作と海人族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1271.html
邪馬台国と卑弥呼-8  神功皇后と台与
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1255.html
邪馬台国と卑弥呼-7  武内宿禰(たけうちのすくね)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1254.html
邪馬台国と卑弥呼-11  二人の卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1258.html

邪馬台国と卑弥呼-23  日本人新羅王 脱解王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1270.html

邪馬台国と卑弥呼-17  稲作と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
邪馬台国と卑弥呼-18  富士山と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html

邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-29  苗族の芦笙祭  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1276.html

宇佐八幡宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1038.html






8

2018/6/30  11:36

投稿者:TAKAO
邪馬台国は、日本海側勢力。
邪馬台国

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