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2011/1/11

邪馬台国と卑弥呼-54  呉服   邪馬台国と卑弥呼

天孫降臨した瓊々杵命(ににぎのみこと)が、日向で木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を娶った話、また応神天皇(=仁徳天皇:私の解釈)が吉備王国の兄媛(えひめ)を娶った話がありますが、いずれも娘を差し出す政略結婚による服従と考えるべきでしょう。

すなわち、中国の江南地方からやってきた苗族(倭族を含む)に日向国の豪族が服従し、大和朝廷に対抗できる勢力を誇った吉備王国が、応神天皇(=仁徳天皇)の時代に服従し、大和政権(苗族?)が国内を統一したものと思われます。



苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related
阿幼朵 - Keaide Miao Xiang
http://www.youtube.com/watch?v=FM74XdWTXMo&feature=related


邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html
 




兄媛(えひめ)で少し、気にかかることがあるので、書いておきますが、「えひめ」という呼び名は愛媛を連想させます。


また、応神天皇の時代、日本にまだ服を作る技術が未熟な頃、呉(中国)の王様に、服を作る技術を教えて欲しいと使いを出したところ、呉の国の王様は、兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)という四人の姫を、織物、縫物の進んだ技術を日本に伝えるために日本に向かわせたました。

本当は、4人とも天皇のもとに向かう予定だったのですが、宗像の神が、一人残ってこの地で服を作ってくれるように頼み、兄媛が残る事となり、この地に中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたという伝説が残っています。  それが、福岡県福津市奴山の縫殿(ぬいどの)神社であります。  



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縫殿神社

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縫殿神社の由来




この呉から伝わった服が、呉服の語源になったとも言われています。



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宗像 沖ノ島出土の金銅製織り機



邪馬台国と卑弥呼-44  海の正倉院 沖ノ島 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1291.html









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