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2011/9/24

邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱  邪馬台国と卑弥呼
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伊勢神宮 心の御柱 覆屋

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伊勢神宮には、心の御柱というものがあります。 式年遷宮といって、20年ごとに、隣の土地に建て替えますが、遷宮が終了した後も、心の御柱だけは、そのまま残され、小さな覆屋(おおいや)に保護されます。

20年後の遷宮では、この残された心の御柱の位置が基準となり、正殿の位置が決まり、ついで宝殿など、他の建物の位置が決まってゆきます。



邪馬台国と卑弥呼-59  伊勢神宮-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1307.html
邪馬台国と卑弥呼-60  伊勢神宮-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1308.html
邪馬台国と卑弥呼-61  伊勢神宮-3 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1309.html
邪馬台国と卑弥呼-86  伊勢神宮と登呂遺跡
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1388.html
伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1040.html




いうまでもなく、古今東西、柱は男根をイメージさせるもので、柱を祀るのは、神様としては出雲系で、諏訪神社の御柱祭りなどがあります。 

邪馬台国が成立する前には、中国の江南地方からやってきた(もしくは影響を受けた)と思われる銅鐸祭祀の海人族、物部一族が、九州、山陰、瀬戸内、近畿、東海地方を支配しておりましたが、この出雲系の神様が、伊勢神宮にも祀られていたと考えるべきでしょう。

この神は、男の太陽神タカミムスヒ(高木神)であります。  また、柱や樹木は、天と地の架け橋とも考えられます。


伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html


長野県の安曇など、海人族が奥深い山とも関係している場合がありますが、これは船の材料となる巨木を採りにいっているためで、吉野(和歌山県)もそうであります。

ですから、タカミムスヒは、どちらかというと山のイメージで、垂直方向の天の絶対神と考えられます。


邪馬台国・大和朝廷の前に、既に大和に降臨していた物部系のニギハヤヒですが、邪馬台国・大和朝廷に権力を譲って(国譲り)からも、従来の神様を大和朝廷も信仰していたと思われます。


天磐船(あめのいわふね) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1497.html
饒速日(にぎはやひ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1498.html



日本書紀によれば、伊勢に祀られた国家的最高神は、雄略天皇以降、ずっと伊勢大神(または日神)と表記されていましたが、その祭神はタカミムスヒであります。


それでは、何故に天武天皇(最初に天皇制を確立)は、従来の伊勢神宮の神様タカミムスヒから、女神の天照大御神信仰に変える必要があったのでしょうか、そして何故伊勢神宮なのか?


これは、その時代背景に大きな関連があります。 天武朝の前の天智天皇は、白村江の戦いに敗れ国家存亡の危機を向かへ、さらに壬申の乱で武力で権力を奪った(一種の革命)天武天皇は、当然自分の正当性を説明する必要があり、また兵力で協力してもらった伊勢地方の海人族への恩返し、また国家存亡の危機を脱するため、新たな皇祖神を必要としたのです。

そして、天武天皇は日本書紀編纂を発案、日本書紀は次の持統天皇の時代、720年に完成する事になります。


天武天皇の名前が、大海人皇子(おおあまのみこ)であったことからも、海人族との深いつながりが想像できます。



額田王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/528.html



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