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2011/10/9

邪馬台国と卑弥呼-145  台与 と ヒスイ  邪馬台国と卑弥呼
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糸魚川市の海望公園にある沼河比売(奴奈川姫)と建御名方命の像


縄文時代から古墳時代にかけて、勾玉や大珠などの翡翠(ひすい)製品は、珍重されましたが、その原産地は新潟県の糸井川周辺にほぼ限られることが科学的分析によりわかっています。

魏志倭人伝には倭の産物として、真珠・青玉があるとされ、また魏志倭人伝によれば、台与(とよ)が魏に孔青大句珠(こうせいだいくしゅ=青い大型勾玉)二枚朝貢した記述があります。 この青玉、孔青大句珠は翡翠のことであります。


邪馬台国と卑弥呼-121 魏志倭人伝 まとめ   
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1456.html


ヒスイは古くは 「 ヌ/瓊 」といわれ、糸魚川の旧名は「 ぬなかわ 」で、これはまさしく「 ヌを産する川 」の意味で、越の沼河比売(=奴奈川姫)は、この地のヒスイを支配する祭祀女王とされています。



魏志倭人伝で、卑弥呼は魏に朝貢した際、ヒスイは贈っておらず、台与はヒスイを朝貢している事を考えれば、台与はヒスイの産出する越の人であったと考えられます。

つまり、卑弥呼と台与は違った地方の女帝であったにも関わらず、魏志倭人伝には同じ邪馬台国の女帝としている事からも、本居宣長の 「 邪馬台国偽僭説 」 を裏付けているものと考えてよいでしょう。


邪馬台国と卑弥呼-143  二人の日巫女
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1519.html


また、万葉集に詠まれた

「 渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも 」(巻十三 三二四七 作者未詳)

の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイを指していると考えられています。



「 天津神社並奴奈川神社 」 の伝説によれば、大国主命から熱烈なプロポーズを受け、結婚したものの、不仲となり、悲嘆の末に糸魚川平牛山稚児ガ池のほとりの芦原に身を隠し、二度と姿を見せなかったとされており、

異伝では、逃げる姫を大国主命の使者が追跡するが、とうとう稚児ガ池の萱原で姿を見失い、そこで使者は姫をいぶりだすため、萱原に火を放ちますが、姫は姿を現さず、使者達は泣く泣くそのあたりに姫の霊を祀ったとされています。


邪馬台国と卑弥呼-137  天の羽衣伝説 と 伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1513.html
邪馬台国と卑弥呼-129  天皇家が避ける伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1503.html


これは何を意味しているかといえば、出雲系の王に、越の国は征服され、奴奈川姫(=台与=神功皇后)は政略結婚さされますが、その後、出雲勢力(大和)に裏切られ、火を放たれ、入水自殺ということです。

すなわち、大和には、神武天皇が入る前に、出雲系の大物主命=ニギハヤヒが既に入っていた事は既にお話しましたが、出雲系の大和の王(仲哀天皇)と結婚した神功皇后=卑弥呼+台与は、武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎と彼を暗殺。


邪馬台国と卑弥呼-123  天磐船(あめのいわふね)
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邪馬台国と卑弥呼-124  饒速日(にぎはやひ) 
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邪馬台国と卑弥呼-7  武内宿禰(たけうちのすくね) 
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そして、大和に対して劣勢にたった北九州勢が起死回生の作戦として、北九州の山門の女首長が、倭(=日本)の女帝と偽り、魏に朝貢。 それを知った台与=神攻皇后は、山門の女首長(=日巫女=卑弥呼)を討ち、さらに三韓征伐。


邪馬台国と卑弥呼-140  神功皇后の卑弥呼殺し
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一級資料見つかる 新羅は倭の属国 
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百済・新羅は日本の属国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1398.html


そして北九州で誉田別尊(ほむたわけのみこと=後の応神天皇)、応神天皇を出産し、しばらく北九州(宇佐八幡宮神社)に留まり、我が子を大和の王とすべく、大和に向かおうとしたが、仲哀天皇の前妻に大中姫(おおなかひめ)という妃がいて、この妃との間に籠坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)がおり、彼らが神功皇后=台与=奴奈川姫の大和入りを良くは思わず、神功皇后は大和に裏切られる。

そして、武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎に誉田別尊をあずけ、彼らは日向に向かい体制を整える一方、台与=神功皇后=奴奈川姫は、大和勢が誉田別尊に近づかぬよう、みずからおとりとなり、日本海側に逃げ、最後に糸魚川平牛山稚児ガ池のほとりの芦原で、火を放たれ入水自殺。

そして、誉田別尊は武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎の水先案内により、大和の抵抗を退け、応神天皇として即位。 神武東征と話しをシルエットの如くあわせているのだと思います。


記紀神話では、台与=神功皇后=奴奈川姫の事は、大和政権に都合の良いように書いているが、地方の伝説は台与=神功皇后=奴奈川姫の伝説を正しく残しているのだと思います。


邪馬台国と卑弥呼-138  神功皇后と気比神宮  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1514.html


ここに、神功皇后が越の気比神宮ですごしていた事と、越の奴奈川姫との関連、さらに魏志倭人伝によるヒスイの朝貢による台与=神功皇后=奴奈川姫との関連。  

さらに、神功皇后は、山口県の穴門郡浦宮ですごしたという、神功皇后=台与が豊に関連する話。

そして最期の芦原で火を放たれて入水自殺した話と、葦原瑞穂の国=日本。  ここでも豊がでてくることからも、神攻皇后のゆくところに常に豊が付きまとう事からも、神功皇后=奴奈川姫=台与と考えてよいと思います。


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2018/6/30  11:32

投稿者:TAKAO
邪馬台国、高志説
邪馬台国

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