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2011/10/11

邪馬台国と卑弥呼-147  蘇我氏 と台与(とよ)      邪馬台国と卑弥呼

武内宿禰(=浦島太郎)を祖とする蘇我氏ですが、豊(とよ=台与)と深い関係が、場所や人名で見て取れます。



仲哀天皇二年正月、神功皇后が正妃になると、同年二月に角鹿(つぬが:現在の福井県敦賀)に行幸し、笥飯宮(けひのみや=気比神宮)を建てた後、神功皇后(=台与)が、仲哀天皇と山口県で過ごした場所が、豊浦宮。 そして、武内宿禰と神功皇后のペアと重ねあわされるような、蘇我馬子と推古天皇のペアがありますが、推古天皇の宮は豊浦宮。

この時代の蘇我系の王家は、「トヨの王家」で、ほとんど全員に豊の文字がついて回ります。 例を挙げれば、推古天皇は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)、用命天皇は橘豊日天皇(たちばなのとよひめのすめらみこと)、聖徳太子は豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)であります。

また、推古天皇に仕えた蘇我馬子は、浦の嶋子とよばれていた事から、浦島太郎とつながります。

これらの関係を見る限りでも、武内宿禰(1〜4世紀)=住吉大明神=蘇我馬子(6〜7世紀)、神功皇后(3〜4世紀)=台与=推古天皇(6〜7世紀)と約3世紀に渡って蘇我氏と台与の関係が深かった事が分かります。


浦島太郎が玉手箱を開けたとき、300年が経っていた話。 武内宿禰が300年に渡り天皇家(景行〜仁徳)に仕えた話。 神功皇后(=台与)〜推古天皇、武内宿禰〜推古天皇まで約
300年に渡り、女帝-男性権力者の組み合わせが語られている事。


人である以上、武内宿禰が300年も生きれる筈がありませんが、ならば浦島太郎=武内宿禰は何者なのか、そして神功皇后とは何者なのか?  次の投稿で説明したいと思います。




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