renaissancejapn@aol.com

2011/10/17

邪馬台国と卑弥呼-148  武内宿禰の正体  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
応神天皇を抱く、武内宿禰と神功皇后


武内宿禰(84-367)は、邪馬台国から大和朝廷建国にかけた、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に仕えた、古事記・日本書紀に登場する伝説的人物で、その7人の子は大和朝廷を支えた葛城氏、平群氏、蘇我氏、巨勢氏、紀氏、波多氏、江沼氏の祖 とされています・





武内宿禰の容貌は、浦島太郎そっくりで、300年も長生きしている事、また浦島太郎が玉手箱を開けたとき実は300年経っていた事などを考えて、武内宿禰=浦島太郎=住吉明神(塩土老翁)と考えてよいでしょう。  

また、邇邇芸尊(ににぎのみこと)が天孫降臨する際、ニニギを先導した猿田彦や、神武東征の際、天照大神の命を受けて、八咫烏(やたからす)に化身して勝利に導いた下鴨神社のご祭神、建角身命(たけつぬみのみこと)も武内宿禰につながるものがあります。



邪馬台国と卑弥呼-132  猿田彦 (さるたひこ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1507.html
下鴨神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1047.html
八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html



武内宿禰は、神功皇后に仕えていましたが、仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は住吉明神と夫婦の秘め事を行ったと、住吉大社神代記に残されており、住吉大社を建てたのは神功皇后、また皇后自身も住吉大神と一緒に住みたいとされ、神功皇后もともに御祭神として祀られています。

神功皇后は、応神天皇を身ごもったまま新羅成敗に向かわれますが、仲哀天皇の死亡時期と、応神天皇の生まれた時期が合わないので、応神天皇は住吉明神(=武内宿禰)と神功皇后の子供であると考えられます。


住吉大社
http://www.sumiyoshitaisha.net/


また、女帝−男子権力者の組みあわせが、卑弥呼−神託を授かる弟、神功皇后−武内宿禰、推古天皇−蘇我馬子、持統天皇−藤原不比等、などと重ね合わせているのです。


実際、300年も生きれる人間はいないわけですから、武内宿禰を一人の人物に特定しようとしても、無理があります。

魏志倭人伝にも記述されているように、邪馬台国は有力豪族の連立で、女帝の卑弥呼・台与が、その代表として国を治めていました。  



邪馬台国と卑弥呼-78  デルフォイの神託と卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html
邪馬台国と卑弥呼-55  卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html
邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html



しかしながら、律令で天皇を中心とする中央集権国家をつくりあげますが、ちょうど8世紀に藤原氏の台頭とともに、有力豪族は藤原氏に嵌められ、没落してゆきます。

その有力豪族の代表格が蘇我氏でありますが、ご存知のとおり記紀神話では徹底して悪者として描かれ、奈良県明日香村にある石舞台古墳では墓が暴かれたままになっており、これは藤原氏によってとことん蘇我氏は辱められたのだと思われます。



クリックすると元のサイズで表示します
石舞台古墳  玄室の長さ7.8m、幅約3.4m、高さ4.8m、総重量2300トン



恐らく、日本建国の最大の功労者は、武内宿禰を祖とする蘇我氏で、現実は決して悪者ではなく、えげつない藤原氏の罠にかかってしまったのだと推測されますが、日本書紀に建国の最大の功労者である蘇我氏の存在を消し去る事ができなかった為、武内宿禰、また浦島太郎に重ね合わせて、蘇我氏の事を書いているのだと思います。


すなわち、300年以上も生きた武内宿禰とは、歴史上の一人の人物を指すのではなく、繁栄していた蘇我氏そのものと考えるのが、理にかなっていると思います。 そして、300年とは、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に仕えた武内宿禰(84-367)、と仁徳天皇(313-399)から蘇我馬子(551-626)のそれぞれ300年の事でしょう。


そして、蘇我氏の繁栄は、浦島太郎の龍宮城での生活が300年と、夢・幻(ゆめ・まぼろし)の如く、最後は玉手箱をあけて、その300年にわたる栄華に幕を閉じるのであります。



19


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ