renaissancejapn@aol.com

2011/10/20

邪馬台国と卑弥呼-150  倭国   邪馬台国と卑弥呼

魏志倭人伝に、日本は倭国として紹介されますが、倭国とは北九州と朝鮮半島南端の一帯のことであります。

中国には、黄河文明と長江文明があり、長江流域では幾多の王国が形成されたものの、その大半が紀元前に黄河文明の人たちの侵略を受け滅亡しました。 そして、押し出されるように長江文明の人たちが日本に船でやってくることになります。


長江に(中国の)倭族がつくった填王国がありますが、倭族は長江文化圏の担い手とされています。 



邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-130  破格の扱いのムク金印 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1505.html
高床式建築
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html
卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html
デルフォイの神託と卑弥呼 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html



苗族は、正確に言うともともとは北(黄河)の人たちですが、中国古代の伝説に登場し、漢族の先祖とされる華夏民族の黄帝との戦いに敗北した蚩尤と一緒に闘った九黎の子孫が南方(長江)に逃げ、さらに山岳地帯に追いやられた、現在は中国の少数民族ですが、この時、長江文化圏の倭族とも混血し、現在では倭族も苗族の一つとして呼ばれています。



邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-38  苗族の温家宝首相
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1285.html



長江を原住地とする倭族は、戦争や迫害で長江流域の山岳地帯を始め、西ではインド、ネパール東部、南ではインドシナ半島の全域から、さらにインドネシア諸島に渡り、東では朝鮮半島南部、北九州と広域に移動し、移動先で古代国家や近代国家を建設しています。

中国大陸からは古代縄文時代から日本への人の移動があったと思われますが、倭族の渡来の時期は、呉が越に滅ぼされた春秋時代末期の紀元前473年を過ぎた頃と考えられ、呉は南の越から攻撃されたので、亡命者達は北方に逃れました。 

呉も越も水軍に優れていたので、呉の民だけでなく、呉の領民として参戦しと考えられています。 そして彼らは、北九州と朝鮮半島南部に漂着し、(日本の)倭国をつくったと思われます。  広島の呉の造船所、瀬戸内水軍の越智水軍も、彼らと無縁ではないと思います。



邪馬台国と卑弥呼-54  呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html
邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1386.html
邪馬台国と卑弥呼-144  越の子供たち  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1520.html



後漢書、三国志によると、弁韓の南に漢族とは異なる分身の習俗を持つ倭人のいた事が記されており、その彼らの国は加羅(から)、または伽耶(かや)と称されています。

晋書倭人伝や魏志倭人伝には、日本の倭人が「自ら太伯の後(すえ)という」とありますが、太伯王は呉国の始祖であり、その後裔として自負していたのでしょう。



邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html



その後、紀元前300年頃には唐津市を中心に松羅国、福岡県西部で早良国が形成されたと、古代史研究家の鳥越憲三郎氏は述べています。


という事は、倭国というのは、中国の江南地方の倭族の人たちが、船で北九州、朝鮮半島南部にやってきてつくった国という事になります。 日本神話の天孫降臨とは、彼らが南九州に漂着し、宮崎県の豪族の娘と婚姻関係を持ち、平和裏に権力を手にし、その後、瀬戸内海を渡り、大和に東征した話であると考えられます。

そして、我々日本人は、長江文明の末裔ということになります。



邪馬台国と卑弥呼-17  稲作と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
邪馬台国と卑弥呼-18  富士山と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html



苗族は、中国の少数民族で、貴州省はじめ、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省に住んでいます。  そのルーツは、稲作発祥の地である長江中流域とされ、米食を主食とし、塩や酢で味付けした魚などの副食とともに1日3食とります。 また日本の納豆菌と遺伝的に同種の納豆、赤飯、餅、なれ鮨、味噌、醤油があり、さらに高床式倉庫、鳥居、鵜飼など極めて日本の風習に近いものがあり、我々日本文化のルーツではないかとされています。

BC2000年頃、寒冷期を迎え、黄河文明(=漢民族=龍信仰)が南下し、長江文明(=太陽・鳥信仰)は破壊され、一部の人々がボートピ−プルとなって日本に流れ着き、次にBC800年頃にまた寒冷期を迎え、黄河文明の漢民族は東南アジアからポリネシアにまで進出し、三苗(苗族=太陽族・鳥族・蛇族)が長江流域を追われて西南部の山岳地帯へ逃れ、また一部の人々は、海を渡って日本に流れ着き(天孫降臨)、蛇(=三輪山)・鳥(=鳥居・天鳥船・八咫烏・白鳥:日本武尊)・太陽信仰(天照大御神=卑弥呼)をもたらしたと考えられます。



邪馬台国と卑弥呼-40  大物主大神 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1287.html
邪馬台国と卑弥呼-35  海照大神 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1282.html
邪馬台国と卑弥呼-26  蛇信仰
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1273.html



また、苗族は精霊信仰(アニミズム)で、女性中心の母権制社会で、女性のシャーマンもいたことからも、日本の邪馬台国に近いものがあり、魏志倭人伝にも江南人と倭人との習俗の共通性が記述されております。


女性シャーマンとは何か? これは社会が成熟してくると、それぞれ政治的対立が生じるので、それをうまくまとめるために、優秀な官僚が既に答え(優れた政策)をもっており、神がかった女性シャーマンにわけの分からない事を言わせ、それを優秀な官僚が解読し、神のお告げと称して、政治を行うものです。 こうする事により、権力者達の面子(めんつ)をつぶさなくてよいようになます。

古代ギリシアのデルフォイ神殿で、女性シャーマンが活躍していましたが、それが南のシルクロードの端の雲南省の填王国に伝わり、それがさらに日本に伝わったものでしょう。 倭国大乱を女性シャーマンの日巫女(ヒミコ)が治めたというのは、古代ギリシアと全く同じ原理であります。



邪馬台国と卑弥呼-78  デルフォイの神託と卑弥呼 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html
卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html



最後に、日本に稲作、漁労、赤飯、餅、味噌、醤油、納豆、鮨、鵜飼を伝えてくれた、苗族の歌をお聴きください。



苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related
阿幼朵 - Keaide Miao Xiang
http://www.youtube.com/watch?v=FM74XdWTXMo&feature=related
The Miao Kingdom Special Collection
http://www.youtube.com/watch?v=nUUMm_5if54&feature=related






5


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ