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2011/11/20

邪馬台国と卑弥呼-167  三種の神器  邪馬台国と卑弥呼
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三種の神器


古事記による天孫降臨の話は、出雲が国譲りをした後、天照大御神と高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は、皇太子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に、「葦原中国に降って、国を治めよ」と命じました。  

しかしながら、天忍穂耳命は、「私が降る準備をしている間に、子供が生まれました。 名は邇邇芸命といいます。 この子を、葦原中国に降ろすべきでしょう。」と申し上げたので、天照大御神と高御産巣日神は邇邇芸命に、「この豊葦原瑞穂の国(葦原中国)は何時が治め、命令の通り天降りなさい。」 と命じられました。

邇邇芸命が、高天原から葦原中国に天降るにあたり、天照大御神は邇邇芸命に、八尺勾玉(やさかのまがたま)と御鏡(みかがみ)、そして草薙剣(くさなぎのつるぎ)を賜い、さらに多くの神々を同伴させ、 「 邇邇芸命は、この鏡を、私の御魂として、わが身を拝むように祀りなさい 」 と仰せになりました。


そして、邇邇芸命は高天原をお発になり、天の八雲にたなびく雲を押し分け、道をかきわけて竺紫の日向(つくしのひむか=九州南部)の高千穂のくじふる嶺(たけ)に天降りなさいました。



ここで、何故に天照大御神と高御産巣日神は、最初から邇邇芸命に天降る事を命じなかったということですが、後の持統天皇(女性天皇)に関係があります。

持統天皇は、夫の天武天皇が崩御したのち、皇后の立場で政治を執ったものの、皇子の草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなったため、自らが天皇に即位しました。 その後、草壁皇子の子、すなわち持統天皇の孫にあたる文武天皇に譲位した為、女系天皇からその孫への王位継承を正統化したかったのです。

天孫降臨とは、天津族の天照大御神の孫が降臨したという意味です。

すなわち、この天孫降臨神話がつくられたのは、持統天皇(645-703)の時代であった事が推測されます。 



ちなみみに、古事記は、712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された、現代に伝わる日本最古の歴史書。

日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書で、日本における伝存最古の正史であります。 舎人(とねり)親王らの撰で、720年(養老4年)に完成し、神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱っています。




邪馬台国と卑弥呼-165  天孫降臨
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1542.html
邪馬台国と卑弥呼-166  斎庭之穂 (ゆにわのいなほ) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1543.html



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