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2011/12/11

邪馬台国と卑弥呼-177  古代日本はヒメ・ヒコ制  邪馬台国と卑弥呼

邪馬台国では、卑弥呼が祭祀をあずかり、弟が補佐役として伝令・実行していました。 このように、ヒメ(媛)とヒコ(彦)による政治統治をヒメ・ヒコ制と呼びます。 私は、卑弥呼の日本での正式な名前は、ヒメ(媛)ミコ(命)=ヒメミコであったと考えています。


邪馬台国と卑弥呼-89 卑弥呼 と ヒメヒコ制
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1422.html


さらに言うならば、邪馬台国のみならず、古代の日本は各地で、ヒメ・ヒコ制で政治が運用されていた女系社会であったと思われます。



神武東征神話でも、神武天皇が倒していった相手に女性の名前が多く出てきます。 名草村ではナグサトベ(名草戸畔)、熊野の荒坂津ではニシキトベ(丹敷戸畔)という女性の国津神が神武に滅ぼされています。

ナグサトベは、「紀伊国人名帳」の名草郡に、ナグサヒメ大神、ナグサヒコ神のヒメ・ヒコとして登場しており、女神を大神、男神をただの神としているところからも、祭祀における女神の位置づけが分かります。

ニシキトベも那智勝浦町浜の宮の浜宮(現・熊野三所大神社)の末社の丹敷戸畔社に神として祀られてきました。 ニシキトベのニシキ(丹敷)は知名からきたもので、神武に滅ぼされた熊野の荒坂津は丹敷浦(にしきのうら)と呼ばれていました。(現・三重県熊野市ニ木島里町の浜)

神武東征で、彼の前に立ちはだかった強敵ナガスネヒコの国もヒメ・ヒコ制でした。 ナガスネヒコは拠点としていた登美(奈良県富雄)の地名から、トミビコ(登美毘古)と呼ばれますが、彼にはトミヤビメ(登美夜毘売)、またの名をナガスネヒメという妹がいました。
トミヤビメは、ニギハヤヒ(饒速日)の妃となっています。


池辺弥氏は、ヒメ・ヒコを古典から拾い集めて「彦姫制史料集成」にまとめていますが、記紀神話・旧事日本記・風土記・続日本書紀、他の史料から93組のヒメ・ヒコのセットを見出しています。



邪馬台国と卑弥呼-78  デルフォイの神託と卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html


知られざる文明、滇(てん)王国
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&feature=related
邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html


邪馬台国と卑弥呼-55  卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html


苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related
邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-38  苗族の温家宝首相 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1285.html

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