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2011/12/30

邪馬台国と卑弥呼-184  神武東征と卑弥呼  邪馬台国と卑弥呼

何度も言っておりますが、私の説は、神武天皇伝説は、失われた古代イスラエル十支族、アレキサンダー大王東征の話がシルクロードを通り、日本に伝わったもので、邪馬台国は本居宣長の邪馬台国偽僭説、すなわち北九州vs畿内の勢力争いで劣勢に立った北九州が魏に朝貢し、劣勢を挽回しようとしたという説をとっています。 さらに、神武・祟神・卑弥呼の年代は、日本書紀に記されているとおりとしています。

しかしながら、元産経新聞の八木荘司氏が角川文庫から出している「古代からの伝言」シリーズでは、神武天皇の即位をBC660ではなく、AD181年とし、奈良盆地の北に邪馬台国が存在しており、神武東征で神武は奈良盆地の南側をおさえ、徐々に邪馬台国を侵略してゆき、最期に大和の支配者となり大和朝廷を開いたという説を展開しております。 これの仮説は卓見で、従来の様々な矛盾・問題が解決されてゆきます。 神武が日向を出発したのがAD174年で、瀬戸内海経由で東征する際に、様々な地域を征服してゆく過程が、倭国大乱であり、その時期は史記と一致し、さらには瀬戸内地方で、高地性集落と呼ばれる山上の遺跡があり、瀬戸内から大阪湾周辺、さらには紀伊半島を回って熊野から奈良盆地に入ったあたりまで、点々と残っており、その時期も、場所も神武東征のルートと一致している事からも信憑性のあるものです。



山上の高地性集落とは、神武軍が海上からやってきたとき、住民は田畑や家屋を放り出し、山上に逃げたと思われるもので、彼らは来襲した軍団が、ふたたび船をつらねて去ってゆくまで、山上の仮小屋で避難生活をおくったものです。

私は、多くの邪馬台国に関する本を読みましたが、なかでも八木荘司氏の「古代からの伝言」シリーズは素晴らしい洞察力であると感じており、是非お勧めの書であります。


ただ、問題点は、日本書紀には、

初代 神武天皇  紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代 祟神天皇  紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代(仲哀天皇) 192年1月11日−200年2月6日(在位) 
    神功皇后  170年−269年6月3日(生誕から崩御)・・・卑弥呼、台与の時代と一致
            201年−269年6月3日(在位)   
15代  応神天皇 270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代  仁徳天皇 313年1月3日−399年1月16日(在位)


とあるわけですから、年代が間違っていたとする説には賛同しかねます。 何故なら、それを言い出したら、自分の都合だけで、これはウソ、これは本当としていたら、結局は何を信じればよいのか分からなくなってしまうからです。



私のスタンスは、愚直に日本書紀に記されている年代や記述を全て信じ、論理・仮説を組み立ててゆくきだと思っています。



私の説は、

@神武東征伝説は、シルクロードを通り、既に日本に伝わっていた、古代イスラエル十支族、アレキサンダー大王東征の話を、神話として用いた 


邪馬台国と卑弥呼-5  神武天皇 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1252.html
邪馬台国と卑弥呼-183  神武天皇の実在性  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1562.html
天皇家と失われたイスラエル十支族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
邪馬台国と卑弥呼-3  日本神話とギリシア神話
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1250.html
八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html


A祟神天皇は邪馬台国の基礎を築いた大王  

邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1251.html


B邪馬台国・卑弥呼に関しては本居宣長の邪馬台国偽僭説(畿内勢力に劣勢に立たされた北九州勢が、魏に朝貢し、魏の助けを借り、劣勢を挽回しようとし、本当の日本の女王国は大和なのに、自分達が邪馬台国であるかのごとく嘘をついた)を採用。 実際、北九州の筑紫に山門に女首長がいたが、神功皇后がこの女首長を殺害したと日本書紀に記されている。 大和にいたはずの神功皇后は以後、北九州に留まり、応神天皇を産んでいる。 また、倭国大乱で30余国を卑弥呼がまとめていた事が魏志倭人伝に記されているが、大和に30余国があったかといえば疑問で、北九州に邪馬台国があったと思われる。 これらが邪馬台国北九州説を裏付けるものであるが、本居宣長の邪馬台国偽僭説を正しいとするならば、魏志倭人伝に記された邪馬台国は北九州であり、矛盾なく説明できる。しかしながら、北九州説をとるならば、その後何故大和に首都を移動する理由が見当たらず、纒向に日本国中の土器や集まっている事や、その後の大和朝廷が奈良盆地で建国しているなど、数多くの考古学的事実からも、邪馬台国は畿内にあったとしか考えられない。 この観点からも、本居宣長の邪馬台国偽僭説ですべて説明できる。  

邪馬台国と卑弥呼-8  神功皇后と台与
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1255.html
邪馬台国と卑弥呼-11  二人の卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1258.html
邪馬台国と卑弥呼-143  二人の日巫女
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1519.html
邪馬台国と卑弥呼-149  神功皇后とは誰か
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1525.html
邪馬台国と卑弥呼-140  神功皇后の卑弥呼殺し
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1516.html
邪馬台国と卑弥呼-146  蘇我氏 と ヒスイ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1522.html
邪馬台国と卑弥呼-145  台与 と ヒスイ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1521.html


C大和朝廷を築いたのは応神天皇(=仁徳天皇)、応神天皇と仁徳天皇は同一人物であり、古事記の神話の部分が応神天皇、地上での王が仁徳天皇をさしているのだと思われます。

邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1251.html




       




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