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2011/12/30

邪馬台国と卑弥呼-185  五十鈴媛(いすずひめ)  邪馬台国と卑弥呼
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卒川神社  
ご祭神:五十鈴媛(中央)、狭井大神(御父神)左、玉櫛姫命(御母神)右

http://www.isagawa-jinja.jp/izagawa.index.html.html

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磐余彦尊(いわれひこのみこと=神武天皇)が大和入りを果たし、橿原宮で即位するまで、東征の途上、ずっと父につきそっていた子息がいました。 

それは、九州の日向に残してきた妃、吾平津媛(あひらつのひめ)の子で、東征した時には、すっかり成長した手研耳(たぎしみみ)であります。



若い手研耳は、勇にあふれ、偉大なる父の後継ぎとして、次代を担う十分な資質を備えていました。

しかしながら、神武天皇が、大和の地元勢を懐柔するために、三輪山の国津神系(出雲系)の大物主神の娘、五十鈴媛を正妃に迎え、手研耳の運命が狂い始めます。

手研耳の母は、日向の吾田邑(あたのむら)で暮らしており、それに対して、五十鈴媛は地元、三輪山一族が挙げて応援しているため、橿原宮での彼女の力は強まるばかりでありました。

古事記によれば、五十鈴媛には、神武天皇との間に、長男の日子八井(ひこやい)、次男の
八井耳(やいみみ)、三男の淳名川耳(ぬなかわみみ)がいました。 特に三男の淳名川耳は、成長するにつれ、大王にふさわしい資質を見せ始めます。


神武天皇の在命中は、手研耳が主役をにない、父を補佐して政事、兵事を代行していましたが、神武が橿原宮で亡くなると、淳名川耳との対立が表面化するようになります。

その後、神武の正妃であった五十鈴媛は、手研耳の妻として迎えられます。 これは、神武軍と三輪山勢力の対立をさけるための政略的な結婚であったと思われますが、やはり夫よりも実の子のほうが可愛いのか、手研耳が淳名川耳らを暗殺しようとしているという情報を歌の形にし、我が子らに知らせます。


狭井川(さいがわ)よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉さやぎぬ風ふかむとす


五十鈴媛の住む狭井川から、宮殿のある畝火山へ、夫の不穏な動きを知らせるものでした。
そして淳名川耳ら兄弟は、手研耳を暗殺。 

五十鈴媛にとっては、自分から発した情報により、実の子に夫を殺されるという、悲しい運命に翻弄されます。


額田王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/528.html


手研耳を殺害する際、兄の八井耳は父の血をわけた兄である手研耳を殺害できず、弟の淳名川耳が憎いまでの豪胆さで、義兄の手研耳を殺害しました。

八井耳は、弟の淳名川耳に、 「淳名川耳よ、お前が立て。 父の後を継いで、立派にこの国を治めてくれ」 といい、八井耳は祭祀の場で神々に仕えたいと申し出て、

建国二代目の最高人事は、全将兵と地元勢の代表に発表され、淳名川耳尊が第二代の天皇となりました。 その漢風諡号(かんぷうしごう)は綏靖天皇(すいぜいてんのう)であります。


桃花鳥田丘上陵(つきたのおかのうえのみささぎ)に葬られ、現在、同陵は奈良県橿原市四条町字田ノ坪に所在する塚山古墳(円墳・径16m)に比定されています。



淳名川
http://homepage2.nifty.com/oyashirazu-oumi/himenosonogo/nunagawa.html


  
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