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2012/1/20

邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  邪馬台国と卑弥呼
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三輪山と箸墓古墳


「出雲風土記」にはヤマタノオロチ神話も国譲り神話も無い事は既にお話しました。 という事は、これらの神話は出雲が舞台ではなく、他の地域のものであるという事になります。

梅原猛の著によれば、ヤマタノオロチは聖地・三輪山の象徴であるとしており、私は卓見だと思いますので、ご紹介したいと思います。



邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1313.html
邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1312.html
邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1311.html


古事記によれば、オオクニヌスノミコトはスクナヒコナノミコトと共に国を治めましたが、スクナヒコナノミコトは常世の国に行ってしまい、ひとりになって困っていると「海を光らして依りくる神」がありました。

その神は、「能く我が前を治めれば、吾れよく共与に相作り成さむ」といい、オオクニヌシが「然らば治め奉る状は奈何にぞ」と問うと、「吾おば倭の青垣の東の山(三輪山)の上へ伊都岐奉れ」と応えたといいます。

古事記は日本書紀とちがって、オオクニヌシの中にオオモノヌシを含めませんが、オオモノヌシはここでも、スクナヒコナと共に、オオクニヌシの国造りを助けたもっとも重要な神となっています。

この話は奇妙で、オオクニヌシの国造りの舞台は、本来、出雲のはずであるのに、その出雲に突然、大和の三輪山の神が登場するのです。

オオモノヌシの本拠が三輪山ならば、オオモノヌシを祀る出雲族の本拠もまた大和ではないか、と梅原氏はしています。



ヤマタノオロチは聖地・三輪山の象徴である。

古事記はヤマタノオロチの特徴を次のように書いています。

「彼(そ)の目は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾有り。 亦彼の身に苔(こけ)と檜椙(ひすぎ)と生ひ、其の長は谷八谷峡八尾(たにやたにをやお)に度(わた)りて、其の腹を見れば、常に血爛(ちただ)れつ」

日本書紀も大体似ており、

「期に至りて果たして大蛇(おろち)有り。 頭尾(かしらお)各八峡(やまた)有り。 眼は赤酸醤(あかかがち)の如し。 松柏(まつかへ)、背上(そびら)に生ひて、八丘八谷の間に蔓延(はひわた)れり。」

とあります。


ここで、背の上に木が生えている事に驚かされます。 古事記では、苔と檜と椙が、日本書紀では松と柏(檜類の総称)が生えています。 そして、ヤマタノオロチは酒好きで、また女好きでもあります。 オロチは毎年一人の処女を人身御供に差し出す事を要求してきます。

まず、背中にいろんな木が生えている事から、これ(ヤマタノオロチ)は山であると考えられます。 そして三輪山は蛇信仰の象徴で、蛇がとぐろを巻いたような形をしています。 さらに、三輪山の蛇の精霊が、イクタマヨリビメや箸墓古墳のヤマトトビモモソヒメのところに通ったことからも女好きの性格と一致します。

また、酒こそが三輪山の特徴で、オオクニヌシノミコトはスクナヒコナノミコトと共に、日本の国に農業生産を伝えた神(苗族)であり、酒を発明した神として知られています。

古事記や万葉集に採られている酒もりの歌には、この酒はオオムナチのつくった酒、という言葉がでてきます。

現在でも、三輪山には、山のあちこちの、神の宿るところと考えられる磐に酒をかけ、三輪山は全山、酒のにおいがするのだそうです。 特に頂上の奥津磐座(おきついわくら)は凄い酒のにおいがするようです。 二千年前から、どれだけ酒を飲んだのか計り知れません。

次に、三輪山を南側、つまり初瀬川の方から見た場合、尾根が何本にも分かれ、それが蛇の形のように続いており、オロチの尾は峡で、山そのものをオロチに見立てることができるようです。

さらに、ホオズキのように赤く、その腹は「血爛れ」という特徴は、梅原氏が実際に三輪山に行き確認したところ、杉は冬に赤くなり、11月から3月の間、それは赤く、三輪山の腹は真赤であったとしています。


日本書記の一書には、次のような文章があります。

「彼の大蛇、頭毎に各石松有り。 両(ふたつ)の脇(かたわら)に山有り。 甚だ可畏(かしこ)し」


石松とは、磐代(いわしろ)の横に生えている松の事で、三輪山の頂上には磐代の傍に生えている松が多くあり、脇に山のある蛇などいる筈も無く、このヤマタノオロチは聖地・三輪山を象徴したものであるとするのが自然であるようです。


また、キラキラ輝く赤カガチのようなオロチの目は、三輪山の頂上には雲母質の磐代が多く、キラキラと輝いているのだそうです。 氏は、これをオロチの眼にみたてたのではないかとしています。


そして、スサノオはニギハヤヒのイメージであり、オロチは三輪山(=オオクニヌシ)、ナガスネヒコこそ、オオクニヌシノミコトの正統な後継者として、神武帝の侵入以前の大和の支配者。 このナガスネヒコを殺害したのが、神武と同じ天孫族でありながら三輪山を支配していたニギハヤヒであります。 神武が大和に侵入したとき、同じ天孫族である事を証明するもの(鏡?)を見せ、ニギハヤヒはナガスネヒコを殺害しました。  

そういった意味で、ニギハヤヒは二重スパイ、またスサノオもアマテラスの弟であることから本来、天孫族でありますが、出雲の国津族のように、どちらの顔をみせています。

とにかく、このニギハヤヒによるナガスネヒコの殺害により、天下は治まり、出雲族は敗北したと考えられます。

これは、単なる一人の人間の殺害ではなく、同時に神の殺害で、オオクニヌシの殺害でもあります。 オオクニヌシを信じる出雲族から支配権を奪ったという事です。


大国主命は、多くの女神との間に子供を設けており、子供の数は「古事記」では180柱、「日本書紀」では181柱と書かれた、絶倫であり、ヤマトノオロチ=三輪山=オオクニヌシのイメージは、酒と女好きとい観点からも話はあいます。


すなわち、ヤマタノオロチの神話は、天孫族が国津族を滅ぼしたという話なのかも知れません。 もし、出雲(島根県)に国津族の拠点があったなら、大和に攻め入って日本を統一したという神武は何だったのかという事になります。 日本統一するなら、出雲(島根県)を攻めねばなりません。


やはり出雲族の拠点は三輪山にあり、天孫族に敗れて、根の国(島根)に流され、出雲に幽閉されたと考えるべきなのでしょうか。


梅原氏によれば、8世紀における律令政権に反抗する神々は、ことごとく遠隔地にハライ流せ
、それがハライ神道の本質であり、伊勢に天皇の祖先神を国家の中心の神として祀った律令政権は、己に逆らう神々の追放をしようとしたとしています。  実際、杵築大社(今日の出雲大社)がつくられたのは、8世紀の事です。 氏は、「出雲国造家文書」より、杵築大社がつくられたのは霊亀2年(716年)の事としています。


そして、追放の場所として、もっとも重い罪人の流刑の場所は隠岐に近い出雲が選ばれ、大和朝廷の支配者達は、大国主命をはじめとする神々を隠岐に流そうとしますが、罪一等を減じて、隠岐ではなく、隠岐に近い出雲に流したとしています。


ただ、私は、実際に隠岐に流し、高い出雲大社は、隠岐の島からも見える、大国主命らの流された神々をを見張る見張り台として、反乱を牽制していたのではないかと考えます。




邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html


邪馬台国と卑弥呼-40  大物主大神 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1287.html
邪馬台国と卑弥呼-41  太陽神信仰 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1288.html
邪馬台国と卑弥呼-42  大国主命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1289.html
邪馬台国と卑弥呼-43  苗族と素戔嗚尊
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1290.html
邪馬台国と卑弥呼-154  八岐大蛇と奇稲田姫
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1531.html
邪馬台国と卑弥呼-134  伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html
邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1510.html
邪馬台国と卑弥呼-136  伊勢・尾張氏 と 火明命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1512.html
邪馬台国と卑弥呼-158  天之日矛 と 都怒我阿羅斯等 そして 素戔嗚尊
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1535.html
邪馬台国と卑弥呼-159  神社とは何か 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1536.html
邪馬台国と卑弥呼-160  神武天皇とタカミムスヒ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1537.html
邪馬台国と卑弥呼-161  カガミと蛇の目 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1538.html
邪馬台国と卑弥呼-163  苗族 と タカミムスヒ    
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1540.html




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4

2013/8/30  20:55

投稿者:ichi
物部の石上神宮のある天理の「桃尾(ものお)の滝」には、八岐大蛇が白龍として蘇ったとの伝承があるようです。八岐大蛇は物部系ではないでしょうか。スサノオが八岐大蛇を倒したのですから、スサノオがニギハヤヒのイメージということはないと思います。

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