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2012/3/12

邪馬台国と卑弥呼-211  熊野大社      邪馬台国と卑弥呼
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熊野大社(熊野坐神社) 島根県松江市八雲町熊野


「出雲国風土記」には熊野大社と記され、その後「延喜式神名帳」では熊野坐神社と記された神社が、出雲東部の意宇郡にありました。 この神社こそ、出雲で最も歴史と権威がある神社であり、出雲西部にある杵築大社(明治4年から出雲大社と呼ばれる)は記紀神話編集の時代に創られたものです。

出雲国は行政も杵築大社の祭祀もずっと出雲臣(出雲国造家)が支配してきました。 その居住地も、出雲国の行政を司る国庁の所在地も、すべて出雲東部の意宇郡にあり、杵築大社(出雲大社)のある西部の出雲郡ではありません。

出雲西部は開発の遅れた地域で、豪族ではなく、小族長や農民達のいた地域でしたが、大和王権の命令で大社がつくられ、オオムナチが祀られる事になります。

出雲氏が祭政の拠点を意宇郡から杵築に移したのは、出雲国造果安(はたやす)のとき(708-721)で、その時期に古事記も撰上されています。



既に、出雲国風土記には、ヤマタノオロチ伝説も、オオクニヌシ伝説どころか、オオクニヌシの名前すらない事を紹介しましたが、まさしくこの古事記が編纂される中で、大和王権(正確には、それに仕える藤原氏)が、スサノオとオオムナチを偉大な英雄神かつ開拓神とし、天孫族に国を譲り、根の堅州国に隠れた冥界神としています。

この過程で、ストーリーにあわせる為に、出雲国内に対応する神社が必要となり、杵築大社がつくられたのだと思います。

すなわち、三輪山から見て太陽の昇る東側には伊勢神宮をつくり、アマテラス信仰がスタートし、太陽の沈む西側の根の国には杵築大社をつくったのでしょう。

そうして、全国に散らばる大国主命をご祭神とする神社は、まさしく大和王権が滅ぼしていった地方の豪族達を祀るものであり、その全ての恨みを一気に鎮め、御祓いを行うためのものが杵築大社(出雲大社)ではなかったのでしょうか。 すなわち、出雲大社とは大和王権に敵対した勢力が全て流され、封じ込められた場所ではなかったかと思います。

私見ではありますが、神在月に全国から集まる神々というのは、大和王権に滅ぼされた勢力であり、その総称を大国主命としたのだと思います。 

すなわち、杵築大社とは、出雲国造家と、古事記の作者が組んでつくりあげた、新秩序のシンボルであり、出雲国東部に歴史と権威のある熊野大社を避け、未開拓の出雲国西部に杵築大社(出雲大社)を創建したのでしょう。




邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  
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邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1578.html
邪馬台国と卑弥呼-210  古事記で創られた大国主命
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