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2012/3/14

邪馬台国と卑弥呼-213  土師連(はせのむらじ)  邪馬台国と卑弥呼

大和政権に於いて、出雲臣氏からは、中央の顕官は一人もでておりませんでしたが、出雲国出身で中央に入って名を残したのは、野見宿禰(のみのすくね)からでたと称する土師連であります。

日本書記の垂任紀によれば、野見宿禰は畿内で天下無双を誇っていた当麻村の蹴速(けはや)と相撲をとり、勝利します。

彼は、そのまま留まって大和朝廷に仕えますが、垂仁皇后の日葉酢媛の葬儀に当たり、それまで行われていた近親者の殉死に代わり、埴(はにつち)でつくった人馬などの埴輪を陵墓に納める方法を提案しました。

天皇は大いに喜び、野見宿禰に土部の管掌者という職を与えますが、そして彼は本姓を改め、土師臣と称し、これが土師連の祖となります。

以来、土師氏は天皇家の葬儀や陵墓をつかさどる家となり、まさに出雲に割り当てられた「死」の世界の管理を行う事になります。 


土師氏が古墳時代から古墳の造営や埴輪の製作、葬礼などに携わり、彼らの居住地は、和泉国の百舌鳥(大阪府堺市)、河内国の古市・丹比地方(大阪府藤井寺・羽曳野市)、大和国の秋篠・菅原地方(奈良市)などの古墳地帯です。

出雲国および出雲国造家、またその同族である土師氏は大和朝廷での「死の国」「黄泉国」の側に立って働く事を課せられていました。

土師氏は、後にはこの姓を嫌い、朝廷に改姓を願い出て、菅原、秋篠、大江の姓を名乗るようになります。


大和から見て、「生」をつかさどる伊勢と、「死」をつかさどる出雲を対比させ、その全てを統治し君臨する大和朝廷という構図が示されているのです。



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