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2012/3/24

邪馬台国と卑弥呼-217  国譲りと藤原氏   邪馬台国と卑弥呼

出雲国風土記には、スサノオのヤマタノオロチ退治の伝説はなく、またオオクニヌシノミコトの名前すら出てこず、国譲りの話もでてきません。 

これらの話は、古事記に書かれたもので、そこには藤原氏の天才的なズルさが隠されており、自分が国譲りの最大の功労者であるとし、後の権力を手に入れるための正当化を行っているのです。



大国主命は、天孫族(大和朝廷)が征服していった地方豪族の数々を象徴的に示していることは既に述べました。

大国主命は多くの別名を持ち、子供が180柱して、彼を祀っている神社が全国にあることからも分かると思います。 

大和朝廷が、弱い相手を征服していったとしては、話として全く面白くなく、大和朝廷の権威づけにもならないので、立派な名前「大国主命」を古事記の作者が創りだしたものです。




古事記による天孫族の出雲侵攻、そして大国主命の国譲りを検証してゆきましょう。




先ず、第一陣として、アメノホヒ(天菩比)がアマテラスとタカミムスヒの命によって下界に送り込まれますが、アメノホヒはオオクニヌシに取りこまれ三年経っても帰ってきませんでした。

そこで、第二陣として、アメノワカヒコ(天若日子)が送られますが、この神もオオクニヌシの娘と結婚し、帰ってきませんでした。

そして、満を持して登場するのが、鹿嶋神宮の祭神で、後に中臣氏(=藤原氏)が自分達の
祖としたタケミカヅチ(建雷命)です。


すなわち、出雲を平定し国譲りを完成させた最大の功労者は、藤原氏ということになり、以後、藤原氏が権力の中枢にいる事に対する正当化を行っているのです。





出雲は、大和から見て日の沈む方向にあり、これを根の国とし、大和朝廷が支配していった
全国の豪族の数々を、「大国主命」とシンボリックに名づけ、根の国に流し葬り、巨大な杵築大社(明治4年から出雲大社と呼ばれる)を建立し、祟りを封じたと考えれます。






邪馬台国と卑弥呼-212  出雲国造神賀詞
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邪馬台国と卑弥呼-211  熊野大社
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邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  
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邪馬台国と卑弥呼-210  古事記で創られた大国主命
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