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2013/4/21

日本建国 イザナギとイザナミ  日本・天皇・神道・記紀神話
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伊弉諾(いざなぎ)神社  兵庫県淡路市多賀(淡路島)

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伊射奈美(いざなみ)神社  徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島

おのころ島神社
http://www.freedom.ne.jp/onokoro/


古事記によれば、イザナギとイザナミが、オノコロ島、水蛭子(ひるこ)と淡島を生んだ後、

ヒルコとアマテラス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1557.html


1.淡道(あわじ)の穂(ほ)の狭別島(さわけしま)(淡路島)
2.伊予二名島(四国)粟国,讃岐国,伊予国,土佐国
3.隠伎の三子島
4.筑紫島(九州)筑紫国,豊国,肥国,熊曾国
5.伊伎島(壱岐島)
6.津島(対馬島)
7.佐渡島
8.大倭豊秋津島(畿内)

の順に国産みを行いました。 という事は、日本建国の最初は、淡路島・四国が重要な位置をもっている事がわかります。 おそらく、ここを支配していた海人一族が、大阪から大和川を上り、大和地方(奈良)に日本という国家を築いたと考えられます。


さらにイザナギ、イザナミは、風、水、海、山、草など次々に神を生んでいきました。 しかし、ホノカグツチを生む際、イザナミは陰部を焼かれ命を落としてしまい、イザナギは、出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県)の境にある「比婆山」にイザナミを葬りました。

イザナミを恋しく思うイザナギは、黄泉国へイザナミを迎えに行きますが、イザナミは「もう自分はこの国の食べ物を食べてしまったのでもう戻れません!」と告げます。  

落ち込んでいるイザナギを見てイザナミは、「 黄泉国の神様に相談して、戻れるかどうかもう一度聞いてきます。その間、決して覗いたりしないで下さい 」と言いました。

しかし、待ちきれなくなったイザナミは、は、約束を破ってしまい、覗き見たのは、なんと8柱の雷神が体に付きまとい、ウジの湧いたイザナミの死体ではあります。  

恐ろしくなってイザナギは逃げ出してしますが、自分の夫に約束を破られ恥をかかされたしまったイザナミは、魔物とともに後を追いかけてきます。 身に付けているものを使って色々な食べ物に変え、逃走を続け、何とかヨモツヒラサカまで逃げ延びる事が出来ました。

そして近くにあった巨大な岩でヨモツヒラサカを塞ぎました。  岩をはさんで、イザナミが「お前の国の人間を一日1000人殺してやる」というと、「それならば私は、一日1500の産屋を建てよう」とイザナギは言い返しました。

黄泉国から帰ったイザナギは、日向の橋の阿波岐原で、体を清めますが、左目をすすぐとアマテラスが、右目をすすぐとツクヨミが、鼻をすすぐとスサノオが生まれました。



     星のシルクロード・ダイジェスト(前半)
     http://www.youtube.com/watch?v=yYyNP2_CLJk&feature=related
     星のシルクロード・ダイジェスト(後半)
     http://www.youtube.com/watch?v=LmmzdYZgz8w




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この話から、イザナミを祀った由緒正しい式内社が、出雲国(島根県)か伯耆国(鳥取県)にあるのかと思いきや、実際、こうした式内社は一社もなく、

驚く事に、日本のグレートマザーというべき、イザナミの名を冠した式内社があるのは、徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島にある 「 伊射奈美(イザナミ)神社 」 だけであります。 

この事実からも、イザナギ、イザナミの話は、淡路島と徳島(阿波)の話であると思われます。


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1970年代に、日中国交回復により、日中共同で、中国の江南地方にあった古い遺跡の研究が進められ、驚くべきことが分かりました。 

それまでは、中国では黄河文明がもっとも古いとされていたのですが、さらに古い揚子江文明(長江文明)があったことが分かったのです。

気候の寒冷化とともに、北から黄河文明の乱暴な漢民族が何度もおしよせ、その都度、長江文明を築いた人々は、日本やベトナムにやってきたようです。

稲作・赤飯・餅・味噌・納豆・醤油・鵜飼など、中国南部の雲南省から日本に伝わったもので、揚子江文明を築いた彼らは、大きな国家として残っているのは、日本くらいで、現在、中国には少数民族の苗族(Miao)として残っています。


苗族 阿幼朵 - Keaide Miao Xiang
http://www.youtube.com/watch?v=FM74XdWTXMo&feature=related


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日本がまだ縄文時代、中国春秋時代の呉は紀元前473年に越に滅ぼされますが、その主力は、南船北馬で知られる、優れた航海術を持つ海人族であり、この海人族は越への強い復讐心を抱きながら、日本に逃れてきました。

彼らが、安曇氏のルーツです。

彼らは根拠地を現在の福岡県福岡市東区の志賀島に置き、越への強い復讐心をエネルギーに源に、軍資金稼ぎと越の情報入手のため、船を使って中国大陸および日本列島各地で交易をはじめますが、同時に稲作、味噌、醤油、納豆、餅、鵜飼、金属器、養蚕技術が日本列島に伝わります。 いわば、彼らが弥生時代の基礎を築くことになります。

また、中国の戦国時代の紀元前334年に越国も楚に滅ぼされ、この時に支配者層、また多くの人々が船に乗って日本に逃れてきました。

この越の人々は、縄文人と同化し、日本の新潟から北陸にかけての地域、高志(こし)=越、すなわち越前、越中、越後の人々となったと推測されます。

安曇族は、中国からの亡命者達を積極的に日本列島の各地に入植させ、水田耕作が広まりました。 これらの地域には、安曇野市、安曇川、渥美半島のように、安曇、渥美、温海、明見、安津見、厚見、安積、安角、越前、越中、越後、出雲、伊豆、熱海、飽海郡、泉などの地名が残っています。  これらの地は、海から川を遡り、湧き水が豊かで、弥生時代の粗末な木製農耕具でも水田開発が出来るところであります。

呉は、孫子の兵法でも知られる孫武や五子胥の作戦で、長江を1200キロほど遡り楚の郢を攻め、黄海を500キロほど走って、山東半島の斉国を攻めたり、運河を掘って船を走らせたりと
ダイナミックに航海しております。 これを考えれば、安曇氏が福岡の志賀島を拠点とし、伊豆や長野の安曇、越前・越中・越後まで活動し、さらに中国とも交易したのも何ら不思議ではありません。


西暦57年に、現在の福岡市付近にあった奴国の王が、後漢の光武帝から「漢奴委国王」の金印(1784年志賀島から出土)を授かっていますが、そのとき洛陽まで行った使者が、自分達は呉国の祖と伝えられる太伯の後裔であると証言しています。 当時、船でシナ海を渡って洛陽まで行けたのは、呉から来た安曇氏しか考えられません。

しかしながら、海運、水軍で成功をし続けてきた海人族の安曇氏は、白村江の戦いで壊滅的な痛手を受け、勢力を失い、政界から姿を消してゆきますが、古代日本、特に邪馬台国、大和朝廷を考える上では、最も調査しなければならない豪族であると思います。


安曇氏と呉
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1579.html
呉音と漢音
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1384.html
呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html 


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何が、言いたいかといえば、日本人はロシアから北海道を渡ってきた人々、中国・モンゴルから朝鮮半島から渡ってきた人々、南の島々から渡ってきた人々、中国江南地方から渡ってきた人々で、縄文人は構成されていましたが、

漁労と稲作をなりわいとする、日本という国家を形成した弥生の人々は、中国江南地方からやってきた長江文明の人々で、彼らが、南九州にたどり着き(天孫降臨)、さらに瀬戸内海を通り、東に進み(神武東征)、淡路島・阿波を支配し、最後に天然の要塞(西側には、大和川を通じて、穏やかな瀬戸内海に出れて、東側は山に囲まれている。)である大和地方に政権を築いたものと思われます。


現代でも、中国と朝鮮半島は似たところがありますし、日本と台湾は合うところがあります。 これは、黄河文明(漢民族:肉食と小麦、砂漠=家の中土足)、長江文明(漁労と稲作、高温高湿=高床式住居、水稲・湿地=靴を脱ぎ、足を洗って家に入る)差があるのかもしれません。

すなわわち、日本は長江文明の末裔という事が出来ると思います。


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話を、イザナギ、イザナミの話に戻すと、イザナギは黄泉の国のケガレを払うため、「粟門」
と「速吸名門」を見ますが、潮流が烈しく速いので、「橘小門」に帰って払い濯ぎますが、

「粟門」は、阿波国と淡路国との海峡の鳴門海峡であり、「速吸名門」は明石海峡、「橘小門」は、阿波国随一の良港の橘湾(橘小門)の「津の峯」であると同定されます。

橘湾は、潮の流れがゆるやかで、禊(みそぎ)をするのに適しており、「津の峯」は生命を再生させる山と阿波の人々に信じられており、土地の人々は、津の峯の見えるところまで来ると屋根の上に登り、午前零時になると、死に瀕した者の名前を挙げ、その命を助けたまえと祈ります。

何故なら、「津の峯」の神は、一日に一人ずつ助けるから、午前零時にいそいで祈願をしなければなりません。

この伝承は、イザナギがイザナミに追いかけられ、黄泉の国から逃げ出したとき、一日に千人殺すと脅迫され、それならば千五百人を誕生させると言い返す故事を連想させます。

また、イザナギが禊をしたのは、阿波岐原ですが、津の峯を麓を青木と呼んでいる事も、興味深いところです。


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それでは、出雲地方の黄泉の国の話は、何なのかという事になります。 実は、出雲大社と呼ばれるようになったのは、明治時代以降の話で、それまでは杵築大社と呼ばれていました。

古事記によれば、杵築大社が建造され始めたのは、斉明5年(659年)の事で、天武天皇(631-686)が古事記編纂を指示した時期と重なります。

出雲地方の人々に反発はあるでしょうが、出雲国風土記には、ヤマタノオロチ伝説もなければ、イザナギ・イザナミの国産みの話もありません。


これはどういう事かといえば、天武天皇(大海皇子)が、伊勢の海人族の助けを借りて、天智天皇を倒し、政権を取り、古事記編纂をはじめ、 その時に、同時に伊勢神宮や杵築大社(出雲大社)の大がかりな建造を始めます。


そして、大和で信仰されていたタカミムスヒから、天照大御神信仰にかえ、太陽の上る東の伊勢神宮に対比させ、太陽の沈む根の国(黄泉の国)を杵築大社(出雲大社)をつくり、

大和政権が倒していった豪族たちを、杵築大社(出雲大社)に流し、そこに幽閉し、巨大神殿をつくることにより、その恨みを閉じ込めたと考えるのが自然でしょう。

大国主命を祭る神社は、全国にあり、子供もありえないくらい多いですが、これは大和政権が倒した豪族たちの集まりの総称と考えればすべてつじつまが合います。

だいたいにして、勝った側が、なんで負けた側に対して、大きな神社をたててやる必然があるのかという事です。


すなわち、古事記を編纂するにあたり、伊勢神宮、杵築大社(出雲大社)は古事記の話に合わすようにつくられたと考えるのが自然でしょう。

では、なぜ、タカミムスヒ信仰をやめて、天照大御神信仰にかえる必要があったのか? それは白村江の戦いに敗れ、信仰する神を変える必要があった。 また、伊勢で天照信仰があったという事だと思います。



伊勢-大和-出雲 レイライン
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1578.html
宗像一族と出雲一族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1577.html
三輪山とヤマタノオロチ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html
伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html
伊勢神宮 心の御柱  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1510.html



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日本を建国したのは、中国江南地方の長江文明を築いた人々で、いま中国では少数民族の苗族として残っている。

彼らは漁労と稲作をなりわいとし、稲作・赤飯・餅・味噌・納豆・醤油・鵜飼などを日本に伝えた。 そして、倭族がつくった填王国がルーツであることに間違いはないでしょう。


知られざる文明、滇(てん)王国
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&feature=related
→雲南省にある、稲作と漁業をなりわいとする女性権力者のいる倭族の紹介、高床式建物
 鳥居にも注目


邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html
佤族舞蹈-日昂祖
http://www.youtube.com/watch?v=IfwME095s0c&playnext=1&list=PL6CE4E87D53DA7EE1&index=8

邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-29  苗族の芦笙祭  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1276.html
邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1278.html


苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related











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