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2013/10/23

記紀神話と伊勢神宮・出雲大社  日本・天皇・神道・記紀神話

もともと天皇家は三輪山信仰で、その皇祖神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)でしたが、7世紀の天武天皇の時代に伊勢神宮での天照大御神(アマテラスオオミカミ)を皇祖神とし、アマテラス信仰となります。



出雲が大和朝廷に国譲りを行い、その見返りに大国主命が巨大な出雲大社をつくって欲しいと天孫族にお願いしたとされますが、それなら出雲大社の建造は3〜4世紀以前でなければなりません。 

それどころか、出雲大社の名称は明治に4年に改名されたもので、それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、「出雲国造家文書」よれば、杵築大社がつくられたのは霊亀2年(716年)の事としています。  

杵築大社(現在の出雲大社)がつくられたのは8世紀の事で、ちょうど記紀神話がつくられた時期と一致しているのです。 古事記の完成は712年、日本書紀が完成したのは720年の事であります。


壬申の乱では、伊勢の海人族の力を借りて、大海皇子が天智天皇に勝利し、天武天皇となりました。  そして、天武天皇は日本書紀・古事記っを編纂します。

伊勢神宮と出雲大社は、、記紀神話の話しに合わせて、太陽の昇る伊勢神宮に対し、太陽の沈む黄泉の国に、出雲大社が創られたのです。


出雲には大国主信仰がありますが、大国主命を祀る神社は全国にあります。 これは何を示しているのかといえば、大和朝廷(天孫族)に逆らった地の豪族たち(国津族)を総称して、大国主命というのです。

大和朝廷に逆らった豪族は、隠岐の島に流され、出雲地方に多く流されていたことが出雲国造の記録に記されているのです。 すなわち、出雲は流刑の地で、流刑された彼らの呪いを封じるために杵築大社(明治時代から出雲大社と呼ばれる)が創られたと考えてよいでしょう。

10月を神無月(出雲では神在月)といいますが、大和朝廷に滅ぼされ全国の神社に祀られている国津族の人々(神々)が出雲に集まり、供養されたのではないでしょうか。

ただ、神無月と言われるのは、中世以降の事で、出雲大社の御師が全国に広めたものです。


天武天皇と言えば、この人を忘れてはなりません。 才色兼備の額田王(ぬかたのおおきみ)です。



額田王
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