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2015/4/19

邪馬台国と卑弥呼-219 邪馬台国 完全決着?  邪馬台国と卑弥呼
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本居宣長 (1730.6.21−1801.11.5)  江戸時代の国学者



---------------  竹田恒泰 先生 の示唆に富むご意見  ------------
 

今日、TV番組「たかじんのそこまで言って委員会」を観ていたら、明治天皇の玄孫で慶応大学の教授、竹田恒泰(たけだつねやす)先生が、非常に示唆に富む話をしてくれました。

邪馬台国、卑弥呼の論争ですが、日本の正史である日本書紀や古事記にも書かれていない、あのいい加減な中国の文献だけで、邪馬台国や卑弥呼の名称や場所を信じるのか? と言うものです。



----------- 記紀神話にはでてこない 邪馬台国・卑弥呼 ---------


それは正しく、天武天皇が日本の正史を編纂するとき、滅茶苦茶なウソをいっていれば、内実を知っている日本国民は、正史や天皇すらも信じなくなると思います。

邪馬台国・卑弥呼という名称は記紀神話には一言も出てこず、中国の魏志倭人伝に初めて登場する名称です。



------------------ 魏志倭人伝 時代背景 ----------------------


時は、3世紀、中国では三国志(魏・呉・蜀)の時代で、魏は呉・蜀と熾烈な戦いを行っており、蜀をけん制するために、インドの西北に位置するクシャーナ朝に金印を授け、倭(日本)にも呉をけん制するために、金印(親魏倭王)を授けています。


特に、曹操(魏)は、208年に、孫権(呉)と劉備(蜀)との、長江での赤壁の戦いに大敗を期し、何とか呉を挟み撃ちにできる同盟国を探しているところでした。

そのような中、魏の景初三年(239年)、公孫淵が誅殺された後、卑弥呼は初めて朝貢し、これを喜んだ曹操(魏)により卑弥呼は「倭王」と認められ、仮の金印紫綬をさずかります。


すなわち、魏とすれば、呉をけん制するために、邪馬台国の場所は、呉を挟み撃ちにする位置にあってほしいわけです。 



--------------- 中国江南地方の風俗と似た邪馬台国 --------------



魏志倭人伝では、その風俗が、中国の江南地方と同じであるというのも納得できます。 

ただ、実際、弥生時代を作ったのも、中国江南の海人族であったことも、知られているところで、今は少数民族となった苗族がルーツです。



苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related
阿幼朵 - Keaide Miao Xiang
http://www.youtube.com/watch?v=FM74XdWTXMo&feature=related

→苗族の歌は自然に耳に入り、心が落ち着きます。 中国の他の地方のは?



苗族は、中国の少数民族で、貴州省はじめ、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省に住んでいます。  

そのルーツは、稲作発祥の地である長江中流域とされ、米食を主食とし、塩や酢で味付けした魚などの副食とともに1日3食とります。 

また日本の納豆菌と遺伝的に同種の納豆、赤飯、餅、なれ鮨、味噌、醤油があり、さらに高床式倉庫、鳥居、鵜飼などのルーツは江南にあり、極めて日本の風習に近いものがあり、我々日本文化のルーツではないかとされています。


1971年の日中国交回復に伴い、揚子江に古い遺跡があり、日本が資金援助(京セラ稲盛さんも参加)し、日中合同で調査が行われ、黄河文明より古い揚子江文明が存在していた事が分かりました。 そして稲のDNAも、ジャポニカ米は江南地方のと一致し、稲作は江南地方から日本に船でやってきた人々によって伝えられた事が今日では明らかになっています。

何故、日本にやってきたかたと言うと、気候の寒冷化に伴い、野蛮な黄河の人々が南下し、それに押し出されるように何度も日本に渡ってきたようです。 黄河の人々や朝鮮半島の人々は砂漠・小麦の文化で土足のまま家に入り、肉を食べますが、揚子江文明の人々は日本人と同じく(というか彼らから伝えられた)稲作と漁労をなりわいとしており、稲作は湿地帯で泥で足が汚れるので、高床式建築で、足をふいて家に上がるのです。



       

  




---  魏の都合で呉をけん制するために 邪馬台国の位置を勝手に制定 ---



魏志倭人伝での邪馬台国の場所を文献通りに特定すると、鹿児島をさらに南下した場所(台湾近く)にある事はご存知と思いますが、こう記述することにより呉をけん制していたのです。


この説を唱えているのが、中国の三国志研究の第一人者、大東文化大学の渡邊義浩・教授で、卓見であると思います。 詳しくは、下記 Utube をご覧ください。



古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫る (2012年)
https://www.youtube.com/watch?v=KS6ZghgWHtU



 




-----------------------  二人の卑弥呼 ------------------------


これで、邪馬台国の場所の特定については合理的な納得性のある説で決まりだと思いますが、それでは卑弥呼は誰だったのでしょうか。  北九州に、魏志倭人伝に記された地名と、現在も北九州にある地名が一致してるので、邪馬台国九州説となりますが、半分正解で、半分不正解です。

それはどういう事かというと、当時、日本(倭:中国で言う邪馬台国)の中心は奈良の纏向で、女帝が立っており、北九州勢力と勢力争いをしていました。 そして劣勢に立った北九州勢、中心地は筑紫の山門にも女王がたっており、魏に助けをもとめたという事です。

ヒミコというのは、本当の名前ではなく、職業名だったので、日本国中にヒミコ(日巫女)がいたのです。 魏から名前を聞かれたとき、北九州勢は本当の日本を統一した国家・女帝ではなかったので、ごまかしたのです。

法隆寺は誰が建てたのか? それは大工さんですと答えるようなものです。



すなわち、魏志倭人伝に登場する邪馬台国は北九州、しかしながら場所は魏の都合で鹿児島や沖縄よりまだ南の海の中に設定。

そして本当の統一国家は大和(奈良)で、本当の女帝は、箸墓古墳に眠る女王です。 邪馬台国・卑弥呼と記しているのは中国の魏志倭人伝だけであり、日本の正史には、そんな呼称は存在すらしていなかったのです。


山門(北九州)の卑弥呼と大和(奈良)の卑弥呼がいて、魏に朝貢したのは偽りの卑弥呼(北九州)であった。 これは江戸時代の国学者、本居宣長の「邪馬台国偽僭説(やまたいこくぎせんせつ)」で、私はこの説をとっています。



邪馬台国と卑弥呼-11  二人の卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1258.html




--------------------------- おまけ ------------------------


邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html

→中国の倭族



邪馬台国と卑弥呼-46  高床式建築
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html

→日本の神社建築のルーツは苗族



邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-24  稲作と海人族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1271.html
邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-29  苗族の芦笙祭  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1276.html
邪馬台国と卑弥呼-30  倭人と刺青
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1277.html
邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1278.html
邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html
邪馬台国と卑弥呼-33  素戔嗚尊(スサノオノミコト)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1280.html
邪馬台国と卑弥呼-34  苗族と鹿信仰 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1281.html
邪馬台国と卑弥呼-35  海照大神
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1282.html
邪馬台国と卑弥呼-36  犬頭人
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1283.html
邪馬台国と卑弥呼-37  苗族の闘牛 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1284.html
邪馬台国と卑弥呼-17  稲作と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
邪馬台国と卑弥呼-18  富士山と桜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html



----------------------- 邪馬台国論争に終止符? -----------------


これで邪馬台国論争に終止符はうたれたでしょうか、みなさまのご意見は?


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