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2006/5/28

ユダヤ教は、ユダヤ民族が歩んできた歴史とともに変遷しているので、その当時の地中海周辺の国際情勢を照らし合わせながら、考察していきたいと思います。

紀元前6000年前頃に、オアシスを求めて彷徨うアラビア遊牧民がいましたが、最初は家族単位で移動していたのが、一族へ、さらに部族へと発展してゆく事になります。

紀元前4000年頃に、今のイラク南東部のチグリス・ユーフラテス川の三角州に遊牧民や農耕民が移住し、紀元前3000年頃に高度なシュメール文明が起こります。 シュメールとはバビロニア南部の地名で、この地方に起こった最古の民族・文明の呼称として用いられています。 

シュメール文明は、人類最古の文字である楔形文字の発明、12進法の発明、太陰暦の発明、印章の発明、車輪や戦車の発明、火を起こす為の弓ドリルの発明、宝石加工、陶器に油絵で彩色する、下剤・利尿剤などの薬の発明、ワインをつかった消毒薬の発明、公式な記録による人類最初の天文学、弓矢の発明、ガラスの発明、のこぎり、釘、ハンマー、斧、鋤、革加工の技術を持ち、さらに人類で動物や植物の両方を初めて育てたのがこのシュメール人であるとされ、極めて創造的な文明を創りだしました。 特にエジプトの象形文字から発達したシナイ文字をもとに、つくられた世界最古の表音アルファベットを発明し、ギリシアに伝え、今日使われているアルファベットの起源ともなったことは有名です。 宗教は、地母神であるナンム、愛の女神であるイナンナまたはイシュタル、風神であるエンリル、雷神であるマルドゥクなどを崇拝していました。

紀元前2500年くらいになると、第1ウル王朝が成立しますが、ユダヤ人の先祖アブラハムの故郷がこの都市ウルです。 今のイラクの南東部で、ユーフラテス川沿いに位置します。 アブラハムを族長とするこの遊牧民たちは、ウルで天幕をはっての遊牧生活をしていました。

このアブラハムが率いる部族が、ヤハウェ神からのお告げにより、肥沃な三日月地帯を東から西へと大移動し、約束の地カナンに入ったのは、紀元前2000年から紀元前1500年頃のことでした。  彼らは、河(ユーフラテス)の向こうからやってきたという意味を持ち、外来の遊牧民を指す「ヘブライ人」と呼ばれました。

この頃、地中海では海洋民族のフェニキア人が現在のレバノン海岸に移住しはじめ、良質のレバノン杉を使って船をつくり、クレタの海上貿易が衰えた後、地中海の海上貿易の主役となります。 エジプトとバビロニアの影響を受け、アルファベットやパピルスを地中海全域に広め、古代ギリシアやローマの発展を促しました。 そして、紀元前9世紀には、北アフリカに植民地カルタゴを建設する事になります。

また、フェニキアは後にアッシリアに対抗する為に、紀元前1000年頃から紀元前100年頃まで、イスラエルと軍事同盟を結び、文化交流は盛んとなり混血も進んでいきました。以前投稿しましたが、アブラハムのイサク生贄の話も、幼児の長男を神に生贄として捧げるという、フェニキアの習慣が、イスラエルに伝わってきたものです。 

話を宗教に戻しますと、この頃はまだユダヤ教、時代を考えれば古代イスラエル信仰と呼ぶほうが正確かもわかりませんが、一神教というより、多神の中から一神を崇拝しているのがほとんどでした。 その為、地域によって、神の名前もエル・エリヨンとかエル・ロイなど、地域や共同生活ごとにより、信仰の対象となる神は様々でありました。

遊牧民であるヘブライ人(=イスラエル人=ユダヤ人)は初めてカナンで土地を持ち、農耕生活を始めたものの、どのようにして穀物や果物を育てていいのか分からず、カナン人に教えを乞う必要がありましたが、カナン人はまず、畑の横にバアル男神やアシュラ女神を立て、それを拝んでから仕事に入っていたので、それがイスラエルの民にヤハウェ神以外の信仰と偶像崇拝をもたらしてしまう事になりました。

ウガリット神話では、バアル神は、最高神エルとアシュラの息子で、豊穣神として崇められていたもので、バアルとはセム語で「主」を意味します。

しかしながら、イスラエルの神ヤハウェがこのようなことを許すわけがなく、イスラエルの民に外敵を送り込み、イスラエルの民を苦しめ、自分に頼らせようとします。

ユダヤ教の変節は、このように一神教ではなかった古代イスラエル信仰の後、モーゼとヤハウェの契約(十戒)で、厳格な一神教のユダヤ教となりますが、これはエジプトを脱出し約束の地カナンに向かう途中で、まとまりのなかったイスラエル12支族を一つにまとめる必要があったからです。 何故ならば、既にカナンの土地に住み着いていた強敵ペリシテ人と戦い、彼らを追い出さねばならなかった為です。  

イスラエルの民がヤハウェ神との約束を守り、戒律を守る見返りとして、ヤハウェ神はイスラエルの民に約束の地カナンを与えるという、このモーゼと神の契約は、絶対神の下でイスラエル12支族を一つにまとめる為の軍事同盟でもあった訳です。

また、ユダヤ教における祭祀のやり方は、バビロン捕囚となってしまった時に秘密結社化せざるを得なかった事、そしてこうした中からモーゼの律法の遵守を極端なまでに形式化しそれを重視するパリサイ派の出現をもたらせました。

またローマ帝国に滅ぼされエルサレムから追放されてからは、神殿での生贄の儀式ができなくなってしまい、ヤハウェ神の神殿とその教えを司っていた祭司団に代わって、神の教えである聖書と、信仰生活において守り実践すべき掟や律法を、祖国と神殿なきユダヤ人に伝えていく必要に迫られ、高度な見識と権威をもったラビ(律法学士)が、次第にユダヤ教団の中心的な役割を果たしていくようになりました。

そうして、このようなあまりにも過酷な民族的苦難を受けたユダヤ民族は、ヤハウェ神との契約を守れば、神はユダヤ人だけを救ってくれるという、排他的な選民思想を特徴とした、メシア(救世主)待望を信仰する、厳格な一神教であるユダヤ教を生み出してゆきました。 
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