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2005/5/28

チェチェン  国際政治・金融・企業
私は2人のチェチェン人の友人がいます。

知り合ったキッカケは、語学学校で、Alviは白ロシアで40代、Badrudiはスターリン似
の30代です。 Badrudiは黒髪ですが、もう既に90%は白髪になっており、傍目には50
代に見えます。


チェチェンはロシア南部の西側に位置する「共和国」ですが、人口は約85万人、住民
の多くがイスラム教徒です。

彼らがいうには、国の大きさは100kmx90kmくらいの、たいへん小さな国のようです。



もともと、反ロシア感情が強く、ソ連崩壊後の1991年11月に、当時のドウダーエフ大
統領がソ連からの独立を宣言、これをきっかけにソ連が1994年にチェチェンに侵攻。 
この紛争でドウダーエフ大統領は死亡しました。

反ドウダーエフ派のマスハドフ大統領が新たに選出され、ロシア連邦と協定を結び、
独立問題は棚上げされました。 しかし独立を求める武装集団の活動が活発になり、
1999年にロシア軍が、再びチェチェンを攻撃しました。

これがいまに続く第2次チェチェン紛争です。


これを受けて、マスハドフ大統領は、反ロシアに転じ、ロシア軍と戦いました。

ロシア連邦のプーチン大統領は、チェチェンに親ロシア政権を樹立する方針を打ち出し、
自治を認めるものの、ロシア領内の一部であることを明示した「共和国憲法」を制定し、
その憲法に基づいて2003年10月5日に大統領選挙が実施され、ロシア政府の強力な
バックアップを受けたアマフト・カディロフ氏が大統領に当選しました。

カディロフは、第1次チェチェン紛争では、ロシア軍と戦った側でしたが、その後ロシア側
に転向、1万人近くの私兵集団を率いて、組織的な犯罪を繰り返す危険人物です。

ロシア連邦のプーチン大統領が、何故チェチェンの独立を認めないかと言えば、チェチェン領土内から石油が産出するうえ、豊かな石油埋蔵量を誇るカスピ海と、その原油積み
出し港のある黒海を結ぶパイプラインが通っているからです。



実は、私は部下にロシア人を2人持っており、一人は元大学教授、もう一人も博士
であり、レベルの高い人達で、普段人の悪口をいうような人達ではありませんが、やはり
チェチェンを良く言う事はありません。  2002年のモスクワ市内の劇場で、チェチェン
人のテロにより人質119人が亡くなったのも記憶に新しいところです。


私は、このロシアとチェチェンの両国に友人を持っているので、チェチェン問題に関して
は微妙な感情をいつも持っています。

ちなみにチェチェン人のAlviとBadrudiには、どちらも10人近い兄弟がいます。



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