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2006/6/30

秦氏 と 日本の中のユダヤ文化  秦氏・日本とユダヤ文化

京都は、桓武天皇が、784年長岡京に、794年平安京に遷都し、1868年の東京遷都までの約1000年の長きにわたり、日本の首都として栄えました。

その平安京の建設に、大きな貢献をしたのが、渡来人の秦氏です。  秦氏一族は、中国で流浪の民とも呼ばれ、4世紀頃に日本にやって来ました。  また、秦氏に関しては分かっていない事が多いのですが、ネトリウス派キリスト教徒のヘブライ人であったとも言われています。

秦氏の拠点は、「太秦(うずまさ)」 ですが、その地名の由来は、ヤマト政権に税を納める際、用いた絹が 「うずたかくつもられた」 ことから、朝廷から 「うずまさ」 の姓を与えられたところから来ています。

秦氏は、日本の文化・伝統に大きな影響を与え、平安京の建設に関しては、秦氏は最大の資金提供者でも有り、土木技術は全て秦氏が指導しました。 

もし秦氏がヘブライ人であったなら、エルサレム宮殿や、ピラミッド建設の技術面で中核的な役割を果たしたユダヤ人のことを考えると納得がゆきますし、ヘブライ語で 「エルサレム」 の意味は 「平安京」 であります。

秦氏で有名な人物は秦河勝ですが、彼は聖徳太子に仕え、太秦に蜂岡寺(広隆寺)を建立したことで知られています。 聖徳太子がイエス・キリストのように、馬小屋で生まれたという伝説がありますが、秦氏がヘブライ人で、ネトリウス派のキリスト教徒であったなら、後に彼らがこういった伝説を作っても不思議はありません。

もうすぐ、全国各地で祇園祭りが始まりますが、この発祥の地は京都の八坂神社で、八坂神社の祇園祭が、全国の祇園祭の中心です。  この祇園祭を最初に始めたのも秦氏であると言われており、7月17日から8日間が祭りの中心となります。

実は、7月17日はユダヤ、キリスト教徒にとっても大事な日であり、この日にヘブライ人は謝恩際を行っていたようで、モーゼ以降はこの祭りは 「仮庵の祭り」 と重なったようです。 

仮庵の祭りとは、モーゼ率いるイスラエルの民が、エジプトを脱出し、カナンに達するまで40年間、荒野を放浪しましたが、その間、雨露をしのいだのが仮庵(スッカー)で、それを記念した祭りが仮庵の祭り(スッコート)です。 


何故、7月17日を祝うのか、それはノアの箱船が、アララト山に漂着した日だからです。


「第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった」
                                −旧約聖書(創世記第8章4節)−


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2011/4/20  3:24

投稿者:太秦之厳眞
われら忌部は秦氏の中でも祭祀を専門に担ってきた。よろしいか?
われら忌部は秦氏の中で祭祀を職に持つ者。よって、われら忌部は秦氏と同族である。
しかして、われら忌部は物部に祖がある。
物部氏の中でも祭祀を担当するわれらの祖先が後に神武天皇と共に渡来した秦氏と
婚姻を結び、現在秦氏としての忌部がある。

賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族である。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部である。
よって、賀茂氏も秦氏である。神宮の祭祀は中臣氏であるが、それは表の儀式。

陰陽道は裏表がある。裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏。
賀茂氏の中でも陛下直属の賀茂氏は戸籍と姓名が無い。

戸籍の無き賀茂氏をわれらは「漢波羅」と呼ぶ。表の陰陽師を陰陽師、裏の陰陽師を漢波羅と申す。
この漢波羅が神道奥義を握っておられる。

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