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2006/7/4

ヨーロッパのファッション  宗教・思想・哲学・文学・芸術
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ルイ14世の肖像画  赤いハイヒールを履いている


シルクハットとマントのイギリス紳士、パリジェンヌのハイヒール。 どちらもロンドンと、パリで流行したファッションですが、何故このようなファッションが流行ったのでしょうか。 



古代ローマ時代は、街を設計する段階で上下水道が整備されていたので、街全体が水洗トイレであり、とても素晴らしいものでした。 また、水洗の公衆トイレまであり、今でもその遺跡を見ることが出来ます。

しかし、中世に入り戦争に明け暮れ、防衛の為に街全体を城壁で囲むという、城壁都市の出現によって事態は変わります。 

狭いところに過密した人々が住んでおり、城壁をつくるだけでもかなりの予算を使い果たしたので、下水処理のことまで十分に考慮された設計になっておらず、人々は大便や小便を容器にいれておき、外に捨てるという習慣ができました。  

しかしながら、毎日のように城壁の外まで捨てに行くわけもいかず、いつの間にやら窓から、大便や小便をポイッと捨てるようになってしまいました。 



ヨーロッパの中でも、衛生観念がひどく、マナーが悪かったのがロンドンとパリです。

ロンドンでは、路を歩いていると、いきなり窓から大便や小便が降ってくるのです。 こりゃたまらんという事で、投げ捨てるときには大きな声で知らせなければならないという法律も出来ましたが、汚い事には変わりありません。 

そうして、男性が女性をエスコートして路を歩くときは、建物に近いほうを男性が歩かなければならないというマナーができました。 

清潔を気にする日本人の感覚からすると、社会全体で解決策を見出そうとしますが、イギリス人の凄いところは、それをシルクハットとマントで防ごうとした事です。 

当然、帽子やマントは汚物だらけになるわけですから、我々の感覚では耐えれませんが、平然と汚物をかぶりながら生活するスタイルが出来上がり、シルクハットとマントが流行しました。



一方のパリでも同じで、街中が汚物だらけで、特に雨などが降ると、路の一面がウンチだらけになってしまい、キレイなドレスも汚れてしまいます。 

それで、つま先だけで歩いていましたが、それでは疲れてしまうので、ハイヒールが1600年代に流行する事になりました。  ハイヒールは、元々は目立つ為に娼婦が履いていたものですが、この頃からフランスでは女性も男性もハイヒールを履く様になります。

ルイ14世の肖像画を注意深く見てもらえれば分かりますが、赤いハイヒールを履いている絵画があります。



ブルボン家のルイ14世は、ルーブル宮殿を居城としていましたが、建物の内外が汚物だらけになり、あまりの悪臭で、我慢の限界を超えたので、ベルサイユ宮殿に引っ越すことになりました。 

しかし、そこでも同じように、汚物だらけになり、異常な臭さだったので、香水がフランスで発達するようになります。


フランスで、ハイヒールが女性だけのものになったのは、ナポレオンの時代で、戦争をやっていましたから、当然男性はこんな歩きにくい靴を履かないようになりました。


日本女性の憧れの、おフランスですが、衛生観念はこの程度な物だったのです。 今ではヨーロッパのトイレは、ほぼ全て水洗化されており、世界の中でも衛生的なところですが、パリやロンドンの地下鉄に行って見てください。 今でも平気で立小便する男性が多く、滅茶苦茶臭いです。



日本は、どうだったのかと言うと、平安京では鴨川が北から南に流れていたので、貴族たちは北の方に住み、溝をつくり川の水を引き込んだ水洗トイレを使っていました。 これは、考古学的にも証明されています。 また、大宝律令(819弘仁10)年には「雨の降った翌日に囚人を引き連れて、宮内の厠溝(トイレ)を清掃する」よう定められている記録もあります。

日本ではトイレのことを、昔から厠屋(かわや)と呼んでいましたが、川屋が語源と言われています。

農業が発達し、人口が増えてきますと、皆が糞尿を川に流していたのでは、環境汚染でさまざまなトラブルを生じさせてしまいます。

そこで、中世からは家の中にトイレをつくり、大便を入れる箱や小便を入れる容器ができ、箱の中に閉じ込めるという方法が取られますが、遠くまで捨てにいけないのでは、ヨーロッパと同じ事がおこってしまいます。

それで考え出されたのがリサイクルで、農業用の肥料に使うことが考え出され、これがビジネスとなっていきます。 中世から江戸時代にかけては、なんとウンチの争奪合戦まで行われていたのです。  

このおかげで、日本の大都市は、ヨーロッパのように、街中がウンチだらけになる事はありませんでした。

日本の昔の絵画などを見ていると、肥溜めを担いだおっさんを描いているのがありますが、農家が自家用の肥溜めから運んだ場合もあったでしょうが、ウンチのビジネスマンであったのかも知れません。



神道では、糞は穢れ・不浄であるが故、我々の祖先はそれを克服する解決策を見出し、同時に農業生産に於いて、人糞肥は魔術的な力を持ったものとされ、日本の農業に、人糞肥は欠かせない物になりました。  それで、農業の生産性が上がり、江戸時代には人口も増え、かつ江戸や京都も、街全体の清潔を保てていたわけです。



中世の時代から、ヨーロッパから宣教師達が来日し、いつも日本を絶賛してくれていますが、実際に街全体が美しく、清潔だったのです。  

例えば、ルイス・フロイスは、戦国時代の京のまちは美しく、公共トイレの存在に驚嘆したと記してくれておりますし、フランシスコ・ザビエルは日本人のことを非西洋の土地で初めてみた「理性」の人と賛美してくれ、イザベラ・バード、シーボルト、ラフカディオ・ハーン、ペリー提督、アインシュタイン博士も、日本人の文化レベルの高さを絶賛してくれています。

これは、神道の影響で、神聖さを保つための清めや穢れに対する意識が、街の清潔と美観を保ち、自然と調和した自然体である、 「生成り」 の日本人を形成していったからだと思います。


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2006/7/12  13:35

投稿者:大江戸
江戸時代は、多分、ある程度落ち着いてからの事だと思いますが、長屋の大家さんが住人の共同便所の汚物を業者に売却、その利益は家賃収入以外の収入になったようです。トイレは、おっしゃるとおり、川に面して設置する事が主流で、川の上流が身分の高い者、川の流れに沿って身分の高いものから低いものへというようになっていたようです。
排水や運送や漁業とか興業等に、川は利用されたのですが、川に関係して生活をしているものは川筋者といった言葉でわかるとおり身分の発生と展開とかと深いかかわりがあるようです。

2006/7/6  20:13

投稿者:Renaissancejapan
今回の投稿のハイライトは、このタイトル名でした。 
褒めていただきありがとうございました。

2006/7/5  1:50

投稿者:YOKOCHOおやじ
 「ヨーロッパのファッション」なるタイトルが秀逸ですね。本文を読んで、はじめてタイトルの毒に気が付く次第。一日遅れでこの記事を発見し、思わず、コメントさせて戴きます。
 実際、ヨーロッパで古いホテルなどに泊まると、天井が低く、部屋も狭く、特にトイレについては、いかにも後から取って付けました、という感じを受けますね。まず水周りでなく、まずベッドを置く、というところから始まっていますよね、明らかに。
 石畳も、決して水捌けが良くなさそうですから、糞尿のみならず、生活排水ですぐに一杯になったものと容易に推測されます。
 人間の心理から類推するに、糞尿の場合は、流石に二階から捨てる場合にしても、人通りを気にすると思いますが、それ以外の生活排水は、結構気楽に捨てるでしょうから、通り(狭い!)を歩くのもリスクの大きい行為だったでしょうね。
 衛生観念もない人々が都市生活をするようになって、結局、ペストの大流行となり、そこでようやく古代文明並みの衛生に思いが至ることで、近代の準備が出来て来て、そうこうするうち、ひょっとしたら現代のヨーロッパは、古代ギリシャ、ローマ以上の水準になったんじゃなかろうか、いやそんな馬鹿なことはなかろう、というような論争期を経て、とうとう古代文明敗れたり!というような自信過剰の延長で帝国主義に至る、という道筋を振り返ると、ヨーロッパの都市がそういうレベルから始まったことは、必ず押さえておくべきポイントですよね。

http://diary.jp.aol.com/mzszfqxgb/

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