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2021/2/11

トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜不快な大都市上海〜  財閥(日本・世界)





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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2816.html







明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜初恋の人との別れ〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜フレーザーバラを離れる〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ 〜ギムナジウムへ入学〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜海の向こうに何がある〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷との別れ〜内部の矛盾を抱える〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 活気に満ちたアバディーン〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 ジャディ・マセソン商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜アヘン戦争で飛躍したJM商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜船舶中買業に就職〜
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からの続き








不快な大都市上海

父ベリーは長らく沿岸警備隊長を務めていたと言っても、熟知してるのは、せいぜい本国のみ。 このため、トーマスを同伴しこれまで一度も見たことのない他国を見学できることをトーマス以上に喜んでいた。

また当時は蒸気汽船(帆船併用)といえども燃料は石炭や薪であり、数十キロ走ると各港に立ち寄り、燃料を補給しなければならなかった。

グラバー父子は、先ずはイギリス本土を南下、ドーバー海峡を経て、イギリス海峡へ、さらにフランス、ポルトガル、西アフリカ、南アフリカの喜望峰を経て、ようやくインド洋へと顔を出した(この頃スエズ運河は未完成)。

JM商会の本社がある香港へ親子が現れたのはアバディーンを出発して実に六ケ月後の六月と言われている。

タフで好奇心の旺盛な親子は長い船旅の疲れも見せず、翌月にはグラバーの勤務地となるJM商会の上海店に向けて出発した。

初めて香港へ降り立った時のグラバーは、とても小奇麗でにぎやかな町だと好感を持った。 それから二日後に着いた上海の街は、香港よりもさらに賑やかで外国人も多数いた。


しかし、なんとなく不潔感のある町で事実、嫌な臭いがグラバーの鼻孔をついた。 ただし、彼が勤める事になっていたJM商会の上海店は海岸通りに面した外国人慰留地の一角にあり、嫌な臭いはいつの間にか消えていた。

当時の清朝はアヘン戦争の敗戦により、南京条約全十三条を締結、イギリスは五つの港の開放と多額な賠償金、新たな英・清朝間の外交通商関係などを勝ち取った。


グラバー父子が初めに立ち寄った香港はこの戦勝により奪い取ったものであり、清朝の最大の港、上海開放も戦勝によるもの。 父ベリー・グラバーはジャディとマセソンの二人に、

「くれぐれもトーマスを宜しく頼みます。 しかし、決して甘やかすことなく、厳しく仕事を教えて欲しい。 スコットランド魂を吹き込んでほしい」。 そう言い残してスコットランドに戻って行った。

トーマスはタビオ余韻に浸る間もなく、貿易商社マンとしての第一歩を踏み出した。 しかし、働く場所こそ変わったものの、仕事の内容はアバdh-んで体験した帳簿の作製、複写、

船荷証券の作成など、グラバーにとっては全く魅力を感じることのない仕事であった。 「こんな仕事で一生を棒に振るなど、まっぴらごめんだ」。

仕事を初めて十日も経たない間にグラバーは帳簿作成に嫌気がさし始めた。 「自らは大きな仕事に取組み帳簿の作成は部下にやらせる。 自分は人の上に立つ大物なのだ」。

とグラバーは早くも次の人生のユメを見始めていた。








大平天国の乱

そんな考えに浸り始めたグラバーに、さらに拍車をかけるような事態がおひざもとの清朝内で惹起し始めていた。

それは「太平天国の乱」である。 「太平天国」の母体は一八四三年(グラバーは五歳)清朝広東省花県出身の農民、洪秀全が創設した「拝上帝教」という宗教団体。

洪秀全は科挙(髄から清の時代まで続いた官史登用の画家試験)に落第、そのショックの余り病に伏せ、あるユメを見た。

それはローマカトリック教会に対して反旗を翻したプロテスタントと同様、堕落し、列強の餌食となりつつある清朝を救う者はこの自分しかいない。





次の投稿に続く











アヘン戦争 と フリーメーソン中国進出 
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2655.htm

ジャーディン・マセソン商会と阿片そしてHSBC
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2797.html
ジェームス・サッスーン卿
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2798.html
サッスーン財閥と阿片そして上海
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2799.html
国での阿片貿易を元々仕切っていてのはベアリングズ兄弟商会
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2802.html
ベアリング財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2803.html
ラッセル商会
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2808.html
ラッセル商会とスカル&ボーンズそれと米民主党とCIA 結局は阿片
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2809.html
ハインツ財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2810.html





PS.この時期、アメリカや日本で何が起こっていたかというと、1837年、アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、

ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドの代理人となっています。 これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなりました。

このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。

ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)を指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルド・ロンドン家のアメリカの代理人となります。

















財閥(日本・世界)シリーズ のここまでのまとめ
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