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2021/5/24

ゴールドマン・サックスと住友財閥  財閥(日本・世界)







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ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
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MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
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東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍












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Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


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マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork












ゴールドマン・サックスと住友財閥


しばらく、日本の財閥の記事を書いていなかったので、今回書きたいと思います。 ゴールドマン・サックスの歴史や活躍はこれまで通り続けますので、ご心配なく。


ゴールドマン・サックスの企業文化は、パートナー制の下で生まれてきました。 そして、経営者が同時にオーナーであるために可能な、金銭的な報酬制度の仕組みで守られてきました。

ゴールドマン・サックスが株式を公開したら、現状を維持していく事は不可能とされています。


インスティテューショナル・インベスター誌は、1986年は、ウォールの大売り出しの年だったと書いています。

日本がバブル経済にに沸いていた時期です。 その年に先立つ5年間に、主な競争相手は公開企業となり、合併され、あるいは消滅してゆきました。

発端は1981年、ソロモン・ブラザーズのフィリップ・ブラザーズへの売却でした。 トレーディングの強さと、巨大な資本が結びつき、同社は向かうところ敵なしの状態となりました。

ソロモン・ブラザーズのパートナーは数百万ドルの資産を手にし、1980年代半ば、同社はますます力を強めてゆきました。


この出来事は、通りを隔てたゴールドマン・サックスのパートナーの頭から去る事はありませんでした。

リーマン・ブラザーズは1984年にアメリカン・エキスプレスに身売り、キダー・ピーボディは1986年にコングロマリットのゼネラル・エレクトリック(GE)社に、

1981年ディーン・ウィッターはシアーズに買収されました。 ベアー・スターンズは1985年に公開に踏み切りました。


財団のルーツ ピーボディ財団
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2718.html
1857年ウォール街恐慌とロスチャイルドのモルガン、ピーボディ支援
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2786.html
ベルモント財閥とロスチャイルド、モルガンそしてペリー提督
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2756.html
J・P・モルガンとエジソンの出会い、GE設立そして三井財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2764.html
田中製造所、東芝、GE、三井財閥、そしてモルガン財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2893.html


この一連の合併・買収で、強豪の相手が出現したかに見えましたが、大半は時を置かずして困難な状況に陥り、結局は再び売却の憂き目にさらされています。


ゴールドマン・サックスが一番大きな衝撃を受けたのは、最も手ごわいライバル、モルガン・スタンレーが簿価の2.76倍の価格で株式公開を行った事です。

20%の株式が一般に売り出され、同社は2億5400万ドルの資金を調達しました。 パートナーはマネージング・ダイレクターとなり、大きな財産を手にしました。

ファースト・ボストンやメリルリンチも侮りがたい競争相手となってきていましたが、ゴールドマン・サックスにとって、モルガン・スタンレーだけが唯一の真の競争相手であり、敬い、恐れる相手でありました。


モルガン・スタンレーのパートナーたちは、レバレッジド・バイアウトやマーtyント・バンキングなどのリスクの高い分野に手を広げていくためには、

もはやパートナー制ではやっていけないと考えて、公開に踏み切りました。 新たな資金調達の手段を得た事は、とりもなおさず新たな機会を得る事を意味し、

モルガン・スタンレーはゴールドマン・サックスを遠く引き離してトップを走るのでは、とゴールドマン・サックスは懸念しました。


ゴールドマン・サックス自体も、1986年に株式の一部売却に踏み切っています。 それは、その1年前の出来事でした。

ある朝、名前を名乗ることを拒む男がジョン・ワインバーグの秘書、アン・エリクソンに電話をしてきました。

今から3週間後の火曜日にミスター・ワインバーは席におられるだろうかと彼は訪ねました。
エリクソンはワインバーグの予定を確認できなかったので、わかりませんと答えました。

電話の相手は、名前も何も残さず、また電話しますとだけ言って電話を切りました。 2週間後、名前を名乗らぬ同じ男が電話をしてきて同じ日時を尋ねた時、彼女はワインバーグはオフィスにいるはずだと答えました。


約束の日になると2人の日本人がワインバーグのオフィスに現れました。一人は訪問者であり、一人は通訳のアシスタントでした。

二本語しか話さない男は、かたわらのアシスタントを通じて、自分は住友銀行頭取の小松康
です。私は身を隠してあなたに会いに来ました。

とワインバーグに名乗りました。 彼は行き先を悟られないように東京からワシントン州シアトルに飛び、そこでワシントンDC行きの飛行機に乗り換え、ワシントンからシャトル便で、

ニューヨークのラガーディア空港に富んだのだと言いました。 誰も後を追ってきた者はいないと彼は確信していました。

ワインバーグは、この秘密めいた行動に驚きました。 そして金融界の人間や弁護士は常にニューヨークとワシントンの間をシャトル便で行き来するから、隠密行動なんて到底無理ですよ、と話しました。


ワインバーグはこの訪問に不意をつかれました。 住友銀行が以前からアメリカの投資銀行業務に関心を持っており、ゴールドマン・サックスの動向を見守っていたなど、彼は知る由もありませんでした。


住友銀行は当時世界第3位の大きさで、日本で最も利益率の高い銀行でありました。
日本三大財閥(住友・三井・三菱)の始まり
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2721.html


住友銀行は、経営コンサルティング会社、マッキンゼーを雇って、アメリカの投資銀行市場に参入する最善の方法を研究させていました。

マッキンゼーはゴールドマン・サックスに投資することを理想的な方法として推奨しました。

長い歴史の中でゴールドマン・サックスが外部の資本を取り入れた事はありませんでした。
また、これはワインバーグ個人にとって難しい問題でもありました。


彼は第二次世界大戦で日本の海軍と戦い、長崎に原爆が投下された直後、捕虜収容所開放を手伝っています。

小松はかつて海軍士官で、彼の駆逐艦はアメリカ軍に撃沈されています。ワインバーグは当初、提携に懐疑的でありましたが、パートナーたちに公平であろうとして交渉を進める事にしました。


込まtの提案を聞いてワインバーグは目を見張りました。 住友が評価したゴールドマンサックスの資産価値は社内の評価をはるかに上回るものでした。


小松は現金出資し、その出資比率に応じた利益の一部を受け取る事を提案しました。 それは夢のような出来すぎた話でした。

会社の利益の12.5%を受け取る代わりに5億ドルを出資すると言う提案は、ゴールドマン・サックスの資産価値を40億ドルと評価した事に値する。

それは簿価の4倍の数字にあたります。 モルガン・スタンレーの公募価格、簿価の3倍を下回る程度、他の投資銀行はさらに低い数字でしかありませんでした。

この話は極秘のうちに交渉すること、ゴールドマン・サックス自身が作業を行い他社の仲介を受けない事が条件として要求されました。

これは大きな一歩を踏み出すことを意味します。 それでなくとも慎重なワインバーグは、注意深く、ゆっくりと話を進めました。

ゴールドマン・サックスは即座に資金を必要しておらず、急ぐ理由は何もありませんでした。

住友銀行はアメリカの投資銀行業務について学びたいと考え、何十人かの研修生を送り込み、ゴールドマン・サックスの社員の隣に座らせてもらって、直接業務を覚えさせたいと望んでいました。

それに関してはゴールドマン・サックスもFRB(連邦準備制度理事会)も反対をし、何らかの関係を持つとすれば、それは一定の距離をおいたものでなければならないとしました。

またFRBは、住友銀行の投資が資本の24・9%を越えてはならないとしました。 住友の投資は、議決権のないリミテッド・パートナーとしてでなければならないことも条件の一つでありました。


ワインバーグは、ゴールドマンが完全に独立した経営権を維持することが、ひいては住友のためになることを説明しました。

「別に交渉を難しくしようとしているわけではありません。 御社はゴールドマン・サックスの8分の1を所有することになるわけです。 私達が独自に圭判断を下し、

自分達の手で運命を切り開いていくこと、そして金融市場がそうみる事は非常に重要です。 さもなければ、当社は評判を失い、投資銀行市場での地位を失うことになります」。

FRBはこの投資を認めるにあたり、住友銀行がゴールドマン・サックスの経営決定に参与せず、互いに研修生を交換して緊密な関係を持ったり、

便宜を図って相互のビジネスを増加させないこと、すなわち単なる投資であることを条件としました。

両社はこの条件に合意し、投資は1987年会計年度に実行されました。両者の関係は円滑で、得るところの大きいものとなりました。

















ゴールドマン・サックス ここまでのまとめ
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モルガン財閥 ここまでのまとめ
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デュポン財閥 ここまでのまとめ
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ロスチャイルド財閥 ここまでのまとめ
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日本の財閥(住友・三井・三菱・安田・等) ここまでのまとめ
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財閥(日本・世界)シリーズ ここまでのまとめ
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