renaissancejapn2020@gmail.com

2021/6/22

サム・サックスの逝去(せいきょ)  財閥(日本・世界)





クリックすると元のサイズで表示します
ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
-------------------------
MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
-------------------
東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍









クリックすると元のサイズで表示します
Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


クリックすると元のサイズで表示します
マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork













歴史的背景 1/3:第一次大戦前後とロスチャイルド・モルガン・ロックフェラー
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2941.html
歴史的背景 2/3:第一次大戦前後とロスチャイルド・モルガン・ロックフェラー
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2942.html
歴史的背景 3/3:第一次大戦前後とロスチャイルド・モルガン・ロックフェラー 
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2943.html











サム・サックスの逝去(せいきょ)


ゴールドマン・サックスのパートナーとなったワインバーグ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2940.html

からの続き



キャッチングスが去った後、ゴールドマン・サックスの資本のほとんどがサックス家の出資によるものとなっていました。

アーサー・サックスは、いとこや弟たちと将来の方向性に関して意見を異にしたとき、ビジネスから手を引きました。

アーサーは縮小計画を提案しますが、ウォルター・サックスとハワード・サックス、そしてワインバーグは1930年代の不況期にもかかわらず、拡大計画を支持しました。

ウォルターとハワードが利益の出ない時期にも出資金を引き上げず、不屈の精神で耐えたおかげで、今日のゴールドマン・サックスがあると言っても過言ではありません。

1931年、古くからのパートナーは新任パートナーの資本口座がマイナスになると、彼らに救済の手を差し伸べました。

パートナー一人当たりの負担額は20万ドルから30万ドルで、当時としては巨額の金でした。

ゴールドマン・サックスは、血縁関係にあろうとなかろうとパートナー制であります。 債務を負ってパートナーとなることは断じて許されませんでいた。


サックス一族はキャッチングスの後任にワインバーグを選びました。 それは彼らが健全なビジネス判断力を持っていたことの何よりの証拠であります。

彼らが自意識過剰で知性に乏しい輩であったなら、自らそのポジションにつき、20世紀最大の投資銀行家が自分たちの眼の前にいることに気付かなかったことでしょう。

最初にワインバーグを認めたのはウォルター・サックスでした。 「この会社は3人の天才を輩出した。 ヘンリー・ゴールドマン、ワディル・キャッチングス、そしてシドニー・ワインバーグだ。その中で、水火も辞せず、試練に耐える男はシドニー・ワインバーグただ一人だった」

会社が黒字に転じるまでには10年以上の歳月が必要とされました。 1930年前半、会社は毎年損失を計上し続けました。

1934年4月、会社の共同王業者、サム・サックスが世を去りました。 彼は死の直前まで、息子のウォルターに、ゴールドマン・サックスの名前がどう思われているかと何度も尋ねました。

サム・サックスにとって、これは何よりも大事な事でした。 生涯を終える最期の年、暗雲がようやく掻き消え、息子は父に、父が聞きたいと願っている返事をしてあげる事が出来ました。















ゴールドマン・サックス ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2904.html

モルガン財閥 ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2894.html

デュポン財閥 ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2919.html

ロスチャイルド財閥 ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2917.html

日本の財閥(住友・三井・三菱・安田・等) ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2918.html


財閥(日本・世界)シリーズ ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2815.html



6


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ