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2021/7/22

財閥解体と再結集、そしてグループ化  財閥(日本・世界)




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1952年4月、サンフランシスコ講和条約の発効により、日本占領は終了し、公職追放や財閥称号・商標の使用禁止、角経済力集中排除法などは失効しました。 これにより、財閥企業の経営者は徐々に経済界に復帰し、社名を変更した企業の多くは旧称に戻しました。 そして旧財閥傘下にあった企業が再結集をはじめました。

1950年代中盤から日本経済は高度経済成長期へと進んでいきました。 日本企業は空前絶後の急成長を遂げましたが、それには莫大な資金調達が必要でした。 都市銀行を傘下に持つ三菱・住友は、銀行を中心に再結集して企業集団を形成しました。 三井がそれに続き。さらに都市銀行を中心に事業会社が集結して企業集団を形成していきました。


一方、残り攘夷都市銀行は出身母体の財閥に固執せず、独自に成長戦略を描いて企業集団を形成していきました。 安田財閥の安田銀行(のちの富士銀行)、渋沢財閥の第一銀行(のちの第一勧業銀行)、山口・鴻池財閥の系譜を引く三和銀行が、新興系企業集団(芙蓉・三和・一勧)を形成していきました。

そして、銀行を持たない財閥を母体とする事業会社が、新興系器用集団に参加していきました。 古河財閥のように丸ごと一勧グループに取り込まれたものや、それぞれの企業が芙蓉・三和・@勧グループに参加した日産コンツエルンなど、事情は様々であります。

かくして、1960年代中盤には、6つの企業集団(三井・三菱・住友・芙蓉・三和・第一(後の一勧)グループが出来上がりました。


財閥は事業分野に偏りがありましたが、六大企業集団は当時の主要産業全てを網羅していました。 つまり、戦前のような事業分野の棲み分けはなくなり、至る所で三井・三菱・住友(プラス芙蓉・三和・一勧)グループがライバル心をむき出しにして競合し合う構図が出来上がりました。




企業集団と財閥の違い

財閥解体を挟んで、財閥は企業集団に再編されました。 それは看板の書き換えだえだったのでしょうか。 そもそも企業集団とは何か、そして財閥とどう違うのか。 企業集団研究の第一人者・奥村宏氏は、企業集団を定義する「標識」として次の6つを挙げています。

@社長会の結成
(住友:白水会、三井:二木会、三菱:金曜会、など)
A株式持ち合い
B都市銀行による系列融資
C総合商社による集団内取引
D包括的な産業体系
E共同投資会社による新規事業進出(公正取引委員会は三井・三菱・住友などの共通した商号・商標使用を含めて7つを列挙している)、であります。

財閥と企業集団の最大の違いは、「株式持合い」に見られる株式所有構造にあります。 財閥の株式所有構造は、創業者一族→持ち株会社→財閥直系企業→その子会社・孫会社と連なっていました。


財閥解体で創業者一族と持ち株会社の所有株式が株式市場に放出されました。 GHQが進める「証券民主化」でその株式はいったん個人の手に渡っていましたが、好不況の波に翻弄されて株式を手放すものが増え、やがて法人所有(企業による株式保有)へと収斂(しゅうれん)していきました。 なかでも親密企業による株式所有が進み、互いに株式を持ち合う「株行持合い」が支配的な流れとなりました。



この株式持ち合い比率が企業集団の結束度合いを示す指標としても散られています。 企業集団における株式持ち合いの特徴は、個別企業レベルでは数%しか株を所有しておらず、戦前の財閥本社のような親会社が存在していないことであります。

日立グループには日立製作所、トヨタグルーPにはトヨタ自動車と言った親会社が存在しますが戦後の三菱グループや三井グループには親会社が存在しません。 では三菱グループや三井グループの企業には支配的な株主集団はいないのかと言えば、たとえば1979年の三菱グループ株式所有マトリックスを見ると、三菱重工は三菱商事株式を4.7%しか持っていません。

同様に三菱銀行は7.48%、三菱電機は1.78%しか所有していません。 しかし三菱グループ20数社の所有株式を累計すると、三菱商事株の39.70%に達します。 こうなると三菱商事は、大株主である三菱グループの意向を無視できなくなってきます。 つまり、企業集団の
中核企業の社長が集まって、たとえばグループ全体の方向性などを決議すると、それら企業はその決議を尊重せざるを得なくなります。

六大企業集団にはそれぞれ中核企業の社長が就き1回くらい集まる会合があります。 それが「社長会」です。




高度成長期の結束強

財閥解体後、財閥傘下の企業は、それぞれ独立した企業として企業活動を行っており、旧財閥時代を想起するようなグループ意識を前面に出すことはありませんでした。

ところが、1960年代に入ると。三井・三菱・住友グループの各社は、統一商標のブランド・イメージを最大限に利用し始めます。 社長会の直轄下にグループ共同の広報委員会や
マーケッティング委員会を設置し、グループあげての営業推進にとりかかったのです。
特に積極だった三菱グループでは、1964年にキャッチコピーを使って、「BUY三菱(三菱商品を買いましょう)」運動を自社従業員に呼びかけ、グループ内部の排他的な企業間取引をさらに強化しました。

このことが、三井・住友グループを結束強化へと走らせました。 三大財閥以外の巨大企業もグループ化の必要性を痛感し、都市銀行を中心とした新興系企業集団の形成が進みました。 当時の住友銀行常務(のちの頭取)・伊部恭之介は、経済記者に対して「やがて企業集団と企業集団とが直接ぶつかりあうことによって勝負が決まる時代がやってくる。 ひと口に系列化と言っても、これは大変な仕事なんだが、事業家としては当然やらねばならんことだ」と語ったと言われています。


この時に拍車をかけたのが「資本の自由化」です。 1964年、日本は経済協力関係機構(OECD)に加盟し、資本の自由化の実施を迫られました。 資本の自由化が実施されると、外国資本による株式売買が自由となり、企業買収の危険性が増します。 企業買収防衛のため、株式持ち合いが積極的に推進され、排他的なグループがさらに結束を強める事態となりました。




オイルショック後の弛

1973年10月、第4次中東戦争が勃発。 中東各国は石油の生産と輸出を制限するとともに、石油輸出機構(OPEC)は石油価格を一挙に4倍に引き上げました。 石油を中東からの輸入に頼っていた世界各国は、経済的に大打撃を受けました。 オイル・ショックであります。

それまで、企業集団の中核は都市銀行でありました。 それは高度成長期における企業の旺盛な資金需要を、都市銀行が支えていたからであります。 ところが、オイル・ショックで
日本経済が低成長期に入り、資金需要が後退すると、都市銀行の神通力は衰えます。 事業範囲の棲み分けを図っていた事業各社は、多角化して低迷を打開しようとします。

こうして銀行中心の企業集団というスキームが綻びを見せ始めて行きます。 たとえば、住友グループの有力企業であり住友金属工業と住友化学工業は、それぞれ子会社を設立してアルミニウム産業へ進出し、「住友アルミ戦争」が勃発しました。 住友グループでは「一業一社」の原則を順守してきましたが、有望な事業分野への参入を巡って競合が生じたのです。




都銀再編と企業集団の攻防

1999年8月に、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行が経営統合を発表しました。 いわゆるみずほファイナンシャル・グループの誕生です。 巨大銀行三行の経営統合は大きな驚きをもって迎えられ、金融界では都市銀行のみならず、信託や生損保も含めて再編・統合が本格化しました。

次いで、1999年10月、住友銀行とさくら銀行(旧三井銀行)が経営統合を発表しました(三井住友銀行)。 そして2001年4月に両行は合併して三井住友銀行となり、2002年12月に金融持ち株会社・三井住友フィナンシャルグループを設立しました。

三井・住友という旧財閥同士の経営統合は、不可能なものと誰もが考えていたため、再び世間を驚かせました。 しかも、この発表の直後に三井・住友の経営統合が続出しました。 2000年2月、三井海上火災保険と住友海上火災保険(三井住友海上火災保険)、2000年11月には、住友化学工業と三井化学、2002年1月には、三井建設と住友建設が経営統合を発表しました。(三井住友建設) 住友化学工業と三井化学は、統合計画を2003年3月に白紙撤回し、結局、三組(銀行・損保・建設)が経営統合しましたが、相次ぐ報道に。三井グループと住友グループそんものが融合するのではないかと憶測を呼びました。


住友銀行と三井銀行の勇剛の背景については、私もある程度知っていますが、メディアやネットでもほとんどでてきませんが、住友家と三井家は婚姻関係にあります。 三井物産初代社長・三井武之助高尚(1855-1913)に当時の住友家当主の妹が嫁いでいました。 住友財閥では「浮利」は追わずという方針があり、商事部門設立はタブーとされ、戦前は三井物産に貿易を委ねていました。 住友財閥七代目の総理事・古田駿之介(188601953)が復員していた社員の職業安定の見地から商事部門の設立を企画し、住友財閥ではtぶーとされた商事部門への進出を決断。

不動産会社の住友土地工務(株)が、土木建築用資材の販売を行いたいと住友本社に提案してきたため、同社を改編して商事部門を新設。 1945年に日本建設産業(株)として発足させ、1952年に日本建設産業が、住友商事(株)と改称し、現在では住友グループの中核
商社となっています。 三井銀行と住友銀行の統合については、富士銀行と第一勧業銀行が経営統合を決め、さくら銀行(三井銀行)とと東京三菱銀行、住友銀行、三和銀行が互いに経営統合を模索していた中、三和銀行がさくら銀行(三井銀行)に高飛車な態度を取り、一方住友銀行は関西でライバル関係にあった三和銀行がさくら銀行(三井銀行)と統合し肥大化することは避けたかったので、さくら銀行(三井銀行)の立場を尊重しつつ経営統合の話を進めたからです。 ビジネスにおいて傲慢は大敵です。 偉そうにするおっさん経営者は会社の業績を伸ばす事はできませんが、事業を潰すのは簡単であるという一例でもあるでしょう。




住友銀行の「外延的膨張」戦略

戦後、都市銀行を中心に企業集団が形成されていきましたが、住友グループでは、金融機関に強豪(株式会社住友銀行、住友生命保険相互会社、住友信託銀行株式会社)を揃えていたのに対して、事業会社は素材産業に偏り、住友金属工業、住友化学工業以外は比較的中堅の企業が多くありました。

そこで、住友銀行は豊富なっ資金力を活かして、非財閥系の有力企業に対して積極的な融資を行い、住友グループの周辺にそれら企業を囲い込む戦略をとりました。 いわゆる「外延的膨張」であります。 これは1950年代に住友グループ首脳が練りに練った戦略論に基づくものだと言います。



外延的膨張戦略の結果、松下電器産業(現 パナソニック)、三洋電機、部理事ストン、出光興産(出光昭和シェル)、東洋工業(現 マツダ)、朝日麦酒(現 アサヒグループホールディングス)、小松製作所(現 コマツ)、鹿島建設(現 鹿島)、大正製薬、村田製作所など、各主要企業が、住友銀行をメインバンクとしてきました。

特に特筆すべきは、最終学歴が小学校中退で、貧乏、かつ病弱な松下幸之助の際の才能を見出し積極的に融資していき、松下電器産業を日本一の企業、また世界的なグローバル企業に育て上げた、見る目の確かさは住友銀行を投資銀行としての能力の高さをも示すものであります。



そして住友銀行はこれら企業に対して、住友系企業との商取引を推進しました。 例えば、1960年代の経済雑誌では、「住友倉庫が連係会社の仕事よりも松下電器産業、伊藤忠商事、旭化成工業などとの取引が増え、三洋電機の荷を一括引き受けする方向で交渉している」と報じています。

三大財閥の中で最も古い歴史を持ち、戦前は三大財閥の一角に加えられながら、三井・三菱・住友財閥の資産比較は七対五対ニと言われ、住友と三井、三菱の差は歴然でした。
しかし戦後は「外延的膨張」戦略によって非財閥系有力企業が住友グループの親密企業となり、その存在が住友グループの強みとなりました。 その成果もあって、住友グループは三井グループを凌ぐほどにまで成長しました。










日本三大財閥(住友・三井・三菱)の始まり
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2721.html
政商から脱皮する財閥(住友・三井・三菱) 
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2722.html
ゴールドマン・サックスと住友財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2932.html
住友財閥の歴史
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2956.html
財閥解体
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2957.html

















ゴールドマン・サックス ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2904.html

モルガン財閥 ここまでのまとめ
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デュポン財閥 ここまでのまとめ
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ロスチャイルド財閥 ここまでのまとめ
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日本の財閥(住友・三井・三菱・安田・等) ここまでのまとめ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2918.html
財閥(日本・世界)シリーズ ここまでのまとめ-1
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2815.html
財閥(日本・世界)シリーズ ここまでのまとめ-2
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2950.html










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